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オウム事件から20年─宗教と社会・政治の現実

不十分だった宗教法人法の改正

宗教が何の罪もない人々を殺し、国に内戦を仕掛ける──。オウム真理教は宗教の思いがけない一面を国民に示した。しかも国はそのオウム真理教を宗教法人として認証し、非課税と教団施設の「聖域化」という特典を与えていた。

95年4月、村山富市首相は「オウム真理教の捜査を見極めて、必要なら宗教法人法の改正を検討する」と言明した。与謝野文相も「宗教法人は公益法人の一つで、活動がガラス張りになることが必要だ。すべてがベールに包まれていいのか、という立法論は必要だ」と述べた。

 同年暮れ、宗教法人法の改正が成り、96年9月から施行された。

 だが、案の定、改正は不十分で、オウム真理教に対しても、創価学会に対しても、何の痛痒も与えるものではなかった。現にオウム真理教は「アレフ」や「ひかりの輪」として今もって存続しているし、創価学会は公明党をして安倍と組ませ、集団的自衛権の行使容認など、日本を戦争できる国へと変えることに加担している。

 私は当時、雑誌を中心にキャンペーン的なルポと論説を発表して、それを96年7月『宗教の火遊び 心の危機からいかに身を守るか』(小学館)という一書にまとめた。そこでは宗教を「精神産業」として捉え直すことを提案したが、その前段として宗教法人法の改正がいかに不十分、不徹底なものかを論証した。

 首相と文相の声明を受けて、文化庁の宗教法人審議会は宗教法人法の問題点を洗い出すとして、8人から成る特別委員会を設置した。

 特別委で検討するとしたのは次の5項目である(カッコ内は改正前の規定による事象)。

①全国的に活動する宗教法人は国が所轄すべきではないか(創価学会やオウム真理教は東京都が認証した)。

②法人設立後の活動状況を所轄庁が把握しないでいいのか(認証を受けた後、宗教法人は所轄庁に事業報告する義務がない)。

③事業、経理などに関する宗教法人の情報開示が不足しているのではないか(宗教法人は信者や所轄庁に対してさえ情報の開示義務がない)。

④法人認証時に反社会性などのチェックを行い、事前にその教団を排除できないか(申請書類に不備がなければ、立入調査などを行うことなく、宗教法人として認証する)。

⑤宗教法人の解散手続きを簡素化できないか(所轄庁や利害関係人、検察官の請求で裁判所が解散を命じる)。 だが、当時から特別委にも宗教法人審議会にも、何一つ期待できないという見方があった。文化庁の元宗務課長として内情を知り尽くすOBは言ったものである。

「宗教法人審議会というのははっきりいって業界の利益代表です。委員15人中11人が宗教界から出てきて、宗務課はその人事を受け入れるだけ。注文はつけられません。である以上、委員が自分で自分の首を絞める改正案をつくるわけがない」

 審議会のメンバーは神社本庁、教派神道連合会、全日本仏教会、日本キリスト教連合会、新日本宗教団体連合会(新宗連)の5団体が2名ずつ枠を持っている。残り4名は学識経験者という構成である。特別委のメンバー8名もこの5団体から一人ずつ、残り3名が学識経験者という取り合わせである。業界が多数であることは動かない。

 宗教界で宗教法人法の改正に前向きだったのは神社本庁と浄土宗ぐらいだった。良識的と見られる教団でさえ慎重論(現状固定論)が多く、宗教法人の大半は沈黙し、頑固に改正反対のホンネを変えなかった。オウム真理教の摘発で宗教界が反省すべきは宗教の荒廃と自律性のなさのはずだったが、彼らは単に法による規制強化だけを恐れ、改正の動きを牽制した。オウム真理教のとばっちりとして、被害者意識しか持てなかったのだ。

 オウム真理教の犯罪性が宗教法人法を温床として肥大、発動したことは明らかである。オウムは法に基づく宗教法人としての認証を、勝手放題できる治外法権とも聖域とも心得た。だからこそ信者を殺してまで非課税のカネを集め、そのカネをもってサリンを製造し、松本市や地下鉄で無差別に人を殺した。

 その上、学識経験者とされる宗教学者も大教団のひも付きであり、そのうち何人かは宗教法人法の所轄庁である文化庁宗務課に専門職員として在籍した経歴を持つ。

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前出の元宗務課長がいきさつを語る。

「宗務課では長らく東大の宗教学科とインド哲学科にお願いして、一人ずつ専門職員として来てもらっていました。専門職員には課長補佐待遇の給与を払い、大学教員の席が空くまでといった感じでローテーションを組んで勤めてもらっていた」

 創価学会の内部文書には宗務課の専門職員が創価大学を訪問したときの「報告書」が残されている。学会の広報室から山崎正友顧問弁護士に宛てられたものである。

 こうして文化庁宗務課と巨大教団が癒着するばかりか、宗教学者やその卵が癒着する。あげく宗務課は宗教法人法の適正な運用をネグリ、宗教学者は教団の代弁をする。


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日本の危機を増大する創価・公明

こうした構造は法が改正された今なお連綿と続いている。創価学会はもちろんのことだが、今もって宗教団体の大多数は献金した信者にさえ、全体でいくら集まり、その金を何の項目にいくら使ったか、まるで開示していないのだ。

 オウム真理教が大量のサリンや爆薬、覚せい剤の原料、銃器や兵器の製造、化学プラントの建設など、物騒極まる買い物に厖大なカネを投じ、末端信者に、まして一般国民に、いっさい気づかれなかったことも当然である。カネ集め、金づかいは教団首脳だけの専権事項であり、会計報告の責めさえ追っていないのだ。

 当時の創価学会会長・秋谷栄之助は95年10月、日本外国特派員協会での講演で、創価学会の政治とのかかわりについて、次の3条件を示した。

「政治にかかわる基本原則として、①政治や政治権力にみずからの教義の実現を望まない。また、政治権力を使って布教しない。②国家から特別の保護を求めない。③支持する政党が宗教的中立を政策として明確にすることを求める」

 だが、名誉会長・池田大作は94年9月に行われた新聞各社との記者懇談会で「政教分離」について聞かれ、まるで逆のことを答えている。

「こういうとまた政教一致と言われるけどね。教義を実現するためには、政治の力が必要です。そういう目的で公明党を作ったのだから。それは変わらないですね」

 池田が言う「教義の実現」とは具体的に何を意味するのか。古くは「国立戒壇の建立」だったろうが、今となっては政治目標としてもリアリティを失った。それでは国会で多数を占めた上での「創価王国の建設」か。これまた現実性のない夢物語の世界である。

 とどのつまり、公明党が自民党との連立で与党の一角を占め、政策面の被害を創価学会と池田に及ぼさない体制づくりをすることが「教義の実現」となろう。つまり「池田を守れ」が教義の実現であり、公明党の存在意義なのだ。

 矮小化されたものである。池田の国会喚問を阻止するためだけの政党。その実現のためには公明党は日本全体を危険に陥れることをためらわない。

 2014年7月、自民党の安倍政権は集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。公明党ももちろんこれに賛成し、日本が第二次世界大戦の焦土の中で反省し、築いてきた「戦争放棄」「専守防衛」の理念を放棄した。

 集団的自衛権という概念は同盟国の存在を前提とする。日本の同盟国はアメリカだが、アメリカほどイスラムという宗教への理解が足りない国はない。だからこそ1979年イランのイスラム革命への対応で失敗して以来、アフガニスタンへの侵攻、湾岸戦争、9・11、イラク戦争、シリア、イスラム国空爆など、失政、失策を繰り返してきた。日本政府はこういうアメリカを「集団的自衛権」の行使で助け、自衛隊員の若い命を差し出そうというのだ。

 それを宗教政党である公明党が是認し、早くもイスラム国で日本のジャーナリストらの殺害をもたらしている。オウム真理教事件の教訓はなんら教訓として定着せず、日本国民は依然として創価学会=公明党の大義なき妄動を許している。

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教義条項改変がもたらす内部矛盾&混乱

・1月29日付「聖教新聞」「会則の教義条項改正に関する解説(上) 創価学会教学部」「学会は世界宗教として大きく飛翔」「大聖人御図顕の御本尊は全て『本門の本尊』」

・1月30日付「聖教新聞」「会則の教義条項改正に関する解説(下) 創価学会教学部」「三代の師弟に連なり 世界広布の大願成就へ」「『広宣流布のための御本尊』を学会が弘通」

・2月23日付「聖教新聞」「躍進の鐘を鳴らせ 座談会」「『会則の教義条項改正』に喜びの声」「世界宗教として更なる飛翔」「自行化他の題目を唱え、人間革命を成就 広宣流布こそ学会の大願」

「原田(会長)池田先生の指導のもと、日本でも世界でも、新たな歓喜の行進が始まっています。この大切な時に当たり、学会の会則の第1章第2条の教義条項を改正しました。(中略)

 原田 これにより、学会の宗教的独自性が、一層、明確になり、世界広布新時代にふさわしいものとなりました。とともに、現在の信仰の実践・実態に即した文言になりました。

 竹岡(男子部長)具体的には次の通りです。『この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書を根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする』」

  ※昨年11月7日に「会則」の「教義条項」を改変し、信仰・礼拝の根本対象である本尊の変更を発表した創価学会が、発表から約3カ月になろうとする今年1月29・30日付「聖教新聞」に、「創価学会教学部」名で「会則の教義条項改正に関する解説」を、さらに2月23日付「聖教新聞」にも、「『会則の教義条項改正』に喜びの声 世界宗教として更なる飛翔」と題する最高幹部による座談会記事を掲載した。

 本誌の227号(平成26・12)既報のように、今回の「教義条項」改変の骨子は、平成3年に破門されるまで、創価学会が信徒団体として所属していた日蓮正宗が、「宗旨の根本」とする総本山・大石寺奉安堂安置の「戒壇の大御本尊(弘安2年の御本尊)」への信仰・礼拝を破棄し、今後は独立した教団として創価学会が選定した本尊を信仰・礼拝の対象とするというもの。

 しかし、「教義条項」改変の発表から約3カ月後に、あらためて上下2回にわたって「教学部」の解説・補足と、原田会長をはじめとする最高首脳の座談会記事で「教義条項」改変の意義を強調しなければならなかった背景には、今般の「教義条項」の改変すなわち宗教団体の生命線である本尊の変更を、原田会長をはじめとする執行部が強行したことについて、創価学会内部から批判や疑問の声があがるなど、混乱と軋轢が生じていることを示唆している。

 もともと今般の「教義条項」の改変は、一昨年11月の創価学会総本部・大誓堂落成に併せて実施する予定だったといわれている。しかし、創価学会の教義部門担当である教学部や、海外の創価学会インタナショナルの幹部らから批判や疑問の声が上がり、本尊の変更と創価学会本部への権力集中を企図する最高規範(宗憲ないしは会憲)の制定を問題視する文書(いわゆる「教学部文書」)が流出するなどしたため見送りとなったようだ。

 だが、原田会長を中心とする現・執行部は、昨年11月、1年遅れで「教義条項」の改変を強行。これに反対していた教学部幹部らはパージされたといわれ、近々、あらたな粛清人事も行われるとの情報もある。

 ところで紹介した2月23日付「聖教新聞」掲載の座談会記事には、次期会長の有力候補とされ、「教義条項」改変と最高規範制定の急先鋒といわれる谷川副会長(本部事務総長)が登場。今般の「教義条項」改変の根幹部分の説明を、森中教学部長とともにほぼ独占的に担当している。この事実からも谷川副会長が、「教義条項」改変の中心者であることが読みとれる。そのいくつかの発言を紹介しよう。

「森中 末法の衆生のために、大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼陀羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく『本門の本尊』です」

「谷川 したがって『本門の本尊』としては、『弘安2年の御本尊』も含まれますが、それのみが『本門の本尊』だとするものではありません。『弘安2年の御本尊』に繋がらなければ、他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする本尊観は、大聖人の仏法に反するものです」

「谷川 いずれの宗教団体も、独立した教団である以上、その教団の本尊、聖典、礼拝施設を決定する権能を有するのは当然です。大聖人の御本尊は『法華弘通のはたじるし』でもあります。その意味で、仏意仏勅の世界広宣流布を推進する創価学会は、受持の対象としての御本尊を認定する権能を有しています。

 森中 したがって、教義条項の『御本尊に自行化他にわたる題目を唱え』にいう『御本尊』とは、創価学会が受持の対象として認定した御本尊を指します」

「谷川 そして今回、大謗法の地であり、他教団の大石寺にある『弘安2年の御本尊』は、受持の対象にしないことを、将来のために、明確にしたのです」

 従来の本尊観や教義解釈を全否定する骨子部分を強調する谷川発言に比べて、経過を報告するだけの原田発言の内容は軽い。こうした事実から、ポスト池田大作体制を視野に入れた創価学会の新体制は、谷川体制になるのは確実であり、谷川体制における宗教的基盤の確立として、「教義条項」の改変が実施されたと見ることが可能だ。

 こうした動きに対して、現在、「総合教学部長・SGI教学部長の遠藤孝紀副会長が2014年7月10日午後、会長・原田、副理事長・長谷川に査問を受けた。これは当日の午前中、副理事長宛に提出した質問文書である」とする「遠藤文書」なるものが流出、原田・谷川執行部が推進する「教義条項」の改変は、池田大作名誉会長の意志に反するとして、その動静を激しく批判している。

 文書の真偽は明らかではないが、内容は具体的であり一連の動きと整合していることからすると、遠藤副会長が書いた文書である可能性は高い。

 もっとも、今般の「教義条項」の改変に、「会則」で「永遠の指導者」と規定され、宗教上の最高指導者と位置づけられている池田名誉会長が、なんらの意思表示も発言もしていないことは興味深い。宗教団体の教義・信仰の根本である本尊の選定や教義変更に意志を示せない人物が、宗教上の最高指導者とは片腹痛い。

 いずれにせよ創価学会は、前身の創価教育学会時代から、牧口・戸田・池田の三代会長が、宗教的には「戒壇の大御本尊」への帰依・信仰を声高に主張してきた歴史がある。また、池田時代になってからは、創価学会の社会的な存在意義を「平和主義」に置いてきた事実もある。だが、集団的自衛権の行使容認をめぐる閣議決定に反対せず、9条改憲の動きにも反対しないように、創価学会は自らのレーゾンデートルである「平和主義」を放擲した。そしていままた、従来の本尊観を放擲して新たな宗教的地平に進もうとしている。「平和主義」と本尊を放擲した創価学会が、行き着く先は何なのか。興味が尽きない。


出典:フォーラム21

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