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今や会員の繋ぎ止めだけに利用され呼べど答えぬ 悪しき天才巨大な俗物

センセーの個人情報 身体

池田大作は、この社会で「最後のカリスマ」「天才的俗物」と評されていますが、池田の私生活をはじ め、一体どんな人柄なのか等々、興味は尽きないようです。
池田は骨太のがっちりとした体格で、身長160㎝(金正日総書記と体系はそっくり)体重、最高時95㎏ 本来の体質と、夜な夜な宴会を開いて美食の限りを尽くしてきた結果です。

今は節制して75kgぐらい。 朝食は至って質素。豆腐やノリ、鮭、味噌汁。昼食はノリで覆ったおにぎりや、時たまうどんで済ませることも。

それは夜の会食に備えてのセンセーなりの身体への配慮なのですが、その食べっぷりは唖然 とするほどです。

とても品格のない食べ方です。私もしばしばセンセーと会食をしましたが、その大食振りは素早い箸の動きで、口の中に料理を放り込むような感じなのです。

1000名規模の大宴会や少人数の会食を全て取り仕切るのは、白雲会と言われる池田専用の料理人たちです。

彼らはセンセーに食べてもらうことを誇りにしています。池田は海外に行ってまで専用の料理人を使っています。

食べ物で好物は、最高級の素材を使った、てんぷら、中華料理、すき焼き、寿司などで、食後は決まって「万惣のメロン」(一個3万円ぐらい)です。女優の杉田かおるが告白した、例の、おさげ渡し事件にも登場しました。

健康管理

こんなうまいものを食べていながら、センセーは大変に健康管理に気を配っています。それは、心臓によくないということで、学会本部、聖教新聞社、創価大学の入り口では、エアーカーテンという空調設備を取り付け、池田の体調に合わせた温度にするように注意しているのです。

センセーは注射が大好きです。私の良く知っているドクター部のS医師を本部に呼びつけては「S・注射」と注射をさせますが、筋肉質で太い腕には注射の針が入っていかないので、センセーは「早く打て・早く」と催促され汗だくでしたと述懐していました。

病歴

心配なことは昔の美食で糖尿病、心臓肥大で、いつ何があってもおかしくない状況です。また、現在、頻尿で外出するときはオムツをしています。

センセーが昔から病弱であるとか、また、各部代表者会議(1000名ほどの全体会議の集まり)で、 センセーは胸のあたりを擦りながら憂いに満ちた表情を時たま見せるのですが、その演技に、参加者は、センセー苦しそう、大変なのでは?と勝手に思い込んでしまうのです。

側近や池田観察者によると、ほとんどが仮病であると言っています。しかし、そのセンセーの入院は、さまざまな憶測を呼びました。

順天堂大学の極秘入院、東京女子医大の検査入院などでしたが、それらの憶測をあざ笑うかのように池田センセーはしぶとく健在です。

ですが、「命に限り有」ということで、目の黒いうちに、せっかく簒奪した世界有数の創価学会の資産を池田家に相続する大プロジェクトを達成しなければなりません。小さな齟齬が無いよう、万全の注意を健康面にかけているのです。

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趣味・嗜好

たばこはショートホープを好み、火をつけ一服してはすぐ消してしまいます。現在は健康に気を使い喫煙していません。昔、センセーは会合の最中にも喫煙しており、会議中5、6本たしなんでいました。

私の知り合いのN君はセンセーがたばこを吸うときの火付け係りで、たばこに火をつける仕草が絶妙なタイミングで感心したものです。N君はこの役目をとても誇りにしておりましたが、残念ながら、あまり偉くなれなかったようです。

その他にはスポーツも好きなようでした。まず、卓球はかなり上手でした。 学会本部の中では、相手になるもののはほんの僅かでした。野球も好きな部類に入ります。

それにプロレスが大好きです。特に悪役の反則技には手をたたいて喜んでおり、周りの人間に、うまいもんだ、大したわざだ、何度も言ったりしてたそうです。

池田の指導にあるように、ばれないように、警察に捕まんないように、などの指導は、プロレスの悪役からヒントを得たのかもしれません。

ひところインベーダーゲームが流行りました。センセーの行くところ必ず、このゲーム機が設置されていました。センセーの趣味として写真があります。有名な心眼写真というもので、ファインダーを覗かないで最高の写真を撮る技術を言います。

小泉元首相もその写真を見て絶賛したとかありましたが、殆どオカルトの世界です。これにはカラクリがあります。かって私は各地の文化祭を担当し、池田夫妻をロイヤルボックスに迎えてその側で全体の指揮をとっていました。

そのロイヤルボックスには池田専用のカメラが設置されており、演目が終わると出演者がそのロイヤルボックスめがけて感激のパフォーマンスで手を振りながら退場していく様を、池田は無造作にシャッターを押し続けるのです。

でも実際は、センセーの後ろに控えている聖教新聞のカメラマンが同じアングルで撮影しているのです。センセーは特別な方だから心で凄い写真が取れるのだ、と思わせるのは池田神格化への演技だったのです。

身だしなみ

センセーは服装にこだわっていました。男は第一印象が大事だと良く言っていました。センセーは一流を好み、仕立ては英国屋で何十万もする背広です。

靴はイタリア製の高級靴で、背広の色は紺系統がほとんどでした。学会幹部もまたセンセーの指導通りでしたので、頭は七三に分け、服装は紺、みな同じような顔つきでした。

センセーはその人物を見るとき、足の先から頭のてっぺんまで見て、どんな服装かどのくらいの値段か判断しろ、そして時計はどの程度のものをつけているかを見るのだといいます。

年始に学会本部に訪れる銀行の頭取クラスに接見して言うのには、さすが銀行の頭取は身に着けるもの、靴からネクタイ、腕時計、全てが一流のものをつけている。

と感心して言うのです。本部職員には、世界一の高給取りになって服装に金をかけるようになりなさい。と言っていました。しかし、私が いる当時は薄給で、吊るしの既製服を買うのがやっとでした。

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女性に関して

これは群を抜いて好きものと言われています。戸田会長はその豪放磊落な性格から、女性に関してもどちらかと言うとあけっぴろげな陽性人間であるのに比較して、池田センセーは女性との関係を徹頭徹尾隠したがる傾向の陰性人間といえます。

もっとも、次から次へと食指を動かしているのですから、全ての実態が自白に晒されると大変なことになります。特に、センセーは、処女と一緒に風呂に入り戯れることは健康に良い、男の寿命を延ばすと信じているようです。

これは殆どセンセーの詭弁ですけれども。お相手としていろいろ言われている方々の年齢は、若い人からかなりの年齢まで噂に上がっています。

好きな歴史上の人物

なんといってもナポレオンです。我に不可能の文字はない、は、センセーもあやかりたいセリフです。次に、憧れのアドルフ・ヒットラーがいます。金正日も枕元に置いて愛読した、我が闘争は、センセーも少なからず好きな本です。

その本から相対革命戦略を企て、全体主義体制をこよなく愛したといわれています。次にちょっと気取ってベートーベンです。センセーはロマンチストを気取っている割には少し陰のある青年だったようで、ベートーベンを聴きながら女性たちを籠絡させていったと古参幹部から聞きました。

センセーの話術

全体主義を好み、独裁者として半世紀に亘り創価学会に君臨してきたセンセーの話術とは、どのようなものでしょうか。私は、仕事柄、何十回となくセンセーのスピーチを聞いてきました。

あるときはセンセーの映像制作で、あるときは講演のテープ起こしでという具合に、カリスマ指導者の生の声に接してきました。戸田先生とは違う面を、池田に見てきました。

戸田先生は聴衆を一気呵成に話の渦中に引き入れるという話術に比べ、池田の話術は、キレがなく、前に話した点と暫くしてからの話が結び付くといった、言われるところの支離滅裂さが、その特徴ではないかと思うのです。

マインドコントロールされた人間にとっては、池田のべらんめえ調で品格のない話しぶりが大いに受けていますので、いつしかそれに慣らされ、センセーが登場するだけで、学会員はミーハーのようにキャーキャーワーワーと熱狂します。

 臨終・死後の生命

「臨終」どんな絶対君主であろうが、日本の最高権力者であろうが、”永遠の指導者”であっても、臨終を避けることはできません。

徒に仏法をかじっているだけに、池田が一番恐れているのが自分の臨終の死に様です。地獄の恐ろしさを少し知っている池田大作は、学会員たちと盛んに、師が地獄に行ったら、一緒に地獄に行くのが師弟の道などと、一人で地獄に行くのは怖いので、学会員のみんなを道連れにしようとしています。

でも、池田大作の行く地獄は、特別な特等席で、一人だけ地獄列車に乗って、閻魔大王から生前に犯した大謗法の数々や反社会的犯罪を教唆した一つひとつを厳しく総括されるから長い間(何百万年も)乗り続けなければならないとされています。

学会員を道連れにすることは言語道断であり、一緒に行くのは側近や学会最高幹部だけにしてもらいたいものです。

小多仁 伯 著 池田大作の品格より 

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池田神格化 池田大作入信神話のでっち上げ ”運命の出会い”など何もなし

旅人よ
いずこより来たり
いずこへ往かんとするか
月は沈みぬ
陽は今だ昇らず
夜明け前の混沌に
光りもとめて
われ進みゆく
心の暗雲をはらわんと
風に動かぬ大樹を求めて
われ地より湧き出でんとするか

この詩は、池田大作が小説人間革命などで発表している、入信の際に戸田城聖の話を聞き運命的な出会いを感じ、その思いを即興詩に託して、戸田城聖の前で披露したとされるものです。

私の知人で、信仰とは無関係の人が、この詩を即興で歌い上げた池田大作の詩のうまさに、いたく感心していました。池田大作お得意の神格化のための演出であるのですが、その知人のように、どれだけの人間が池田に騙され、マインドコントロールされてきた事でしょうか。

昭和22年8月、池田大作はとにかく創価学会と関りを持ちます。池田の入信神話の舞台となったのは、東京・蒲田の三宅家でした。三宅家は、この蒲田の地で学会の草創期からの熱心な信者であり、比較的広い家だったので、戸田城聖の立正安国論講義や学会幹部の小泉隆、辻武寿が担当した座談会に分けて使用していたのです。

当時のことを知る三宅家の三女、三宅妙子さんの証言をもとに検証していきます。その三宅家の会合にクラスメートだった三宅妙子さんの姉に誘われて、池田は出席したのです。池田が言う、戸田先生との運命的な出会いなどありませんでした。

たまたま姉につれてこられて池田は、いかにも冷やかし半分で来たという感じでした。と三宅さんは証言しています。その後、再び誘われ、市ヶ谷の学会本部の二階の会場で、当時の教学部長だった小平芳平らに五時間折伏され、理論でやり込められて、仕方なく入信することになったのです。

入信後の池田は、全く信仰態度がお粗末な青年であったと、自ら発言しています。それは、宗教学者の小口偉一編、宗教と信仰の心理学の中で、池田は授与された御本尊を箪笥の隅に放っておいたある日、ものすごい雷が鳴りだし、その雷が自分を襲ってくるような体験をし、恐ろしさのあまり身を屈めて小さくなっていた。

その時、思わず南無妙法蓮華経と唱えていた(要約)というものです。確かに雷は恐ろしいものですが、永遠の指導者と言わせている人間としては大いに問題のある発言であり、池田大作の深層心理が透けて見えるような話です。

ともあれ、池田の入信神話は、いろいな場面で微妙に変化していることに、池田のいい加減な創作(でっち上げ)が浮き彫りとなります。結論として、池田大作の入信の際には、戸田城聖とは運命的な出会いもなければ、自分はこの人(戸田)の後継者となるに違いない、との不思議な直感を得て入信したのではない事だけは事実のようです。

三宅妙子さんは、池田からラブレターをもらった人。サヨナラ私の池田大作、女たちの決別にも書かれています。

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第一庶務O女史の秘められた随行体験 喜び組

韓国・釜山のアジア競技大会で一躍有名になった「喜び組」は、北朝鮮の重要な国策となっています。 います。金正日の元側近たちは、喜び組の実態を生々しく証言しています。

それによると、喜び組は「満足組」「幸福組」「歌舞組」の三部門に分類され、満足組は性的な奉仕を任務とし、幸福組は身 の回りを甲斐甲斐しく世話する任務であり、歌舞組は歌や踊りで金総書記や外国要人をもてなすといわれています。

海外の評論家やマスコミは、現代のハーレムである、とか、バカ殿様時代のような出来事、等々、半ば亜散れながらの論評を行っています。この、喜び組ははたして金正日および北朝鮮だけの、特異な体質が生み出したものなのでしょうか。

実は、世間から特異な団体と認知されている創価学会にも「喜び組」と同質とみられたセクションがありました。それは、金正日と似た者同士と言われる創価学会の独裁者・池田大作の生んだ池田流喜び組ともいえる存在なのです。元側近などの証言と、私自身の体験を交えながら検証してみます。

昭45年頃、池田大作は、日本の名勝地や温泉地、国立公園の中に豪華施設を百箇所ほど建設しています。金正日の造った、百箇所以上といわれる、喜び組を待機させた別荘と同じような物です。

私は、本部から文化祭の運営責任者として全国に行っていましたので、地元の副会長や県長から案内され、見学する機会がありました、その豪華施設には多額の建設費を掛けていましたが、肝心の池田センセーは、年に1回来るかどうかという程度なのです。

一般の会員が使用する研修所や文化会館は平凡な造りなのですが、さすが、センセーの使用する部屋は、材質が極端に違っているのです。施工費も当然、数倍掛るといわれています。

部屋は概ね2室あり、池田の寝室と、身の周りの世話をする第一庶務の女性職員の寝室が襖一つで仕切られています。池田の寝室の奥には、大人が2~3人入ることの出来る、豪勢で大きな浴室ルームがあり ます。

浴室の作りは、外国産と思われる高価なタイルをあしらったものや、総檜の和風調のものもありました。どうみても、宗教団体の研修所にはふさわしくない、無駄を絵に描いたような施設のですそれでは、池田がこの施設をどのように使用していたかを検証します。

何しろ、この部屋はセンセーと第一庶務の女性しか宿泊できない密室となっているのです。下衆の勘繰りではありませんが、いろいろ想像してしまう方が自然かもしれません。既に現役を退いたO女史が、共通の友人に生々しい密室の体験を述べています。O女史が池田の随行で、ある施設に宿泊した時の話です。

この随行とは、池田大作の全国行脚に同行する人たちで、第一庶務の関係者、学会の最高幹部(婦人部長、女子部長)、取材記者シナノ企画の記録映画班、池田を警護する人間など、さながら大名行列のように移動する人たちのことをいいます。

池田大作が各県、各地域に訪問すると、この池田の宿泊する豪華施設が参謀本部となり、ここから、あらゆる決済事項が発令されていくのです。

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したがって、この部屋には、第一庶務の関係者や地元最高幹部たちが、池田に呼ばれて指導を受けたり懇談したりして出入りすることになります。

この当時の池田の体系は最悪で、毎日の美食で太っちょの体を横にして、婦人部幹部からマッサージを受けたり、足を揉んでもらいながら応対していました。午後10時前後、第一庶務より「終局です」と東京の学会本部秋谷会長(当時)に知らされ、創価学会の一日が終わるのです。

その後この部屋は、誰人たりとも入ることのできない聖域(性域?)となります。いくつかの証言によりますと、池田大作には密室での行動 パターンがあるといいます。それは、池田が真夜中に咳払いをすると、すぐさまお供の女性が隣の池田の寝室に行き、身の回りの世話をしなければなりません。

その世話とは「喉が渇いた」「胸を擦ってくれ」「足を揉め」などのスキンシップを要求してくるというのです。その後は、「男と女の世界」になっていくであろうことは、想像に難くありません。

このように、池田はラブホテル以上の雰囲気が漂う大風呂とシックな和室を持つ穏徴な世界を堪能しつつ、自分だけが使用できる全国各地の豪華施設を転々と利用していったのです。私が見た印象として、和室の大きさに比べ、とにかく風呂が異常に広かったのを記憶しています。

この豪華施設は宗教施設としていかがなものか、また、池田の欲望を満たす秘密の施設ではないかと世間から疑われて、明確な反論もできないまま、現在に至っているのです。さて、池田の夜の相手をさせられる第一庶務の女性職員は、ローテーションの順番か、もしくは池田の指示によって随行につく、とされるそうですが、いよいよO女史が担当する番になりました。

O女史は、その日の仕事に忙殺されたため、彼女は就寝後、なんと一回も目を覚まさず熟睡してしまったというのです。次の日の朝、池田からO子、お前は何度呼んでも起きなかったなあ、と嫌みを言われ、非常に恐縮してしまったといいます。O女史は、後日になって

この時に目を覚まさなかったお蔭で、幸いにも池田の毒牙にかからなかったことを知り、安堵したと語っていました。O女史にとっては幸いな話、池田のボヤキを考えれば笑ってしまいます。

さて、あれほど池田のお気に入りだった豪華施設が、一斉に取り壊されることになりました。それは、1977年、民社党が準備した国会での質問主意書の中で、当時の民社党の春日委員長が、霧島研修所の施設は、国の国定公園法に抵触する、と指摘したことから、これに池田大作が慌てふためき、すぐさま取り壊しを命令したのです。

それにしても莫大な金を使い建設した数多くの豪華施設を、なぜ潰したのか、大いに疑問が残ります。真相は、これらの施設に注目が集まることにより、到底宗教施設とは呼べない豪華専用施設の実態や、そこを舞台とした池田大作の破廉恥行状の実態が社会の目に赤裸々に晒されることを誰よりも恐れたからに他なりません。
小多仁 伯 著 池田大作の品格より

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