ERIGONOMI NET

Welcome to the yukoku no bushi homepage

    戸田城聖会長時代  昭和26年~昭和33年

戸田城聖の名前の由来「戸田という字画をかぞえてみろ、日本と同じだろう。つまり俺は日本城の聖(ひじり)ということだ」と語る。

昭和20年
1945.1.8
戸田 獄中で牧口の死を予審判事から告げられる

1945.3
池田 西糀谷から強制疎開。大田区西馬込の祖母を頼り転居

1945.5.24
池田家 空襲で消失。バラック小屋に居住 

1945.7.3
戸田城聖 豊多摩刑務所から出獄  

1945.7.5
戸田 猊下にお詫び
戸田、歓喜寮を訪ね、日淳上人に対して「申し訳ありませんでした。2年間、牢で勉強して、自分の間違っていたことがわかりました」といって平身低頭、深くお詫び申し上げ、さらに「これからは何もかも、お任せいたしますので、よろしく頼みます」(戸田城聖S20.7.5=出獄の2日後/法照寺・石井栄純尊師が日淳上人夫人より伺った事実/『慧妙』H13.9.1)

池田 大田区大森南(森ヶ崎)に移転

1945.8.20
日本正学館仮事務所設置(品川・上大崎)

池田氏 旧制東洋商業学校(現・東洋商業高校)夜間部2年に編入学。新橋の昭文堂印刷に勤務 1945.10
戸田 日本正学館設立(西神田)

牧口会長は摧尊入卑
野島> 「あなたは牧口先生の1番弟子であり、私も第何番目かの弟子の1人である。弟子として、私は牧口先生の教えを忠実に守っていきたいし、また学会の正しい発展を願うことでは、敢えて人後に落ちない熱意を持っているつもりである。

ところで先頃の学会の検挙のことを、あなたは一体どういうふうに考えているんですか、どうしてあの事件があんなに拡大し、あんなに長引き、そのあげくに、牧口先生の獄死ということになったのでしょうか。これについて、あなたは反省してみたことがありますか。(中略)

戸田> それは2通りに考えられると思いますよ。その一応は、学会が発迹顕本の時になっていたのだということ。それからもう1つ、二応としては、牧口先生が御自分の学説に重きを置いた結果、法華経をむしろその手段のように扱ったということ、御書に摧尊入卑という言葉がありまして、その摧尊入卑の罰とか罪とかいう言葉はないが、つまりそれに当たるのだと思う。

学会の行き方としては、価値論から法華経へ、法華経から御本尊へというのでなければならないと思いますね」(野島辰次=牧口門下で創価教育学会の理事を務めていた『我が心の遍歴』/『慧妙』H15.2.16)
以下、詳細はこちらへ 真実の創価学会史

↑ PAGE TOP

          戸田城聖氏の指導■御登山について


「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉御供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。」 (『戸田城聖全集』第3巻490頁)

             ■ 猊 座 の 御 事

「先代牧口先生当時から、学会は猊座(げいざ)のことには一切関知せぬ大精神でとおしてきたし、今後も、この精神で一貫する。これを破るものは、たとえ大幹部といえども、即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。」 (『戸田城聖全集』第3巻235頁)

             ■ 信 徒 の 姿 勢

「私のいうことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺を大事にすることと、御本山へ尽くすことは当たり前のことなんだからね。それが自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない。」 (『戸田城聖全集』第4巻237頁)

             ■ 法 水 写 瓶

「法水写瓶(ほっすいしゃびょう)というのは、ここに二つの茶碗が、どんな形に変わっても、このなかの水をうつせば中の水は変わらないのであります。ですから、代々の御法主上人は、お人によって、いろいろとお姿は違うのでありますが、日蓮大聖人の法水が、そのまま変わりなく移されているのであります。」 (『戸田城聖全集』第5巻439頁)

             ■ 政 治 文 化 活 動

「文化活動というものは、広宣流布の大構想からみれば、それは子供のオモチャのようなものである。(中略)それが広宣流布のための本格的な闘争であると思ったら大まちがいです。そう思われたら困る。(中略)政治のための政治ではない。だから自由党で立ちたかったら自由党、社会党ならば社会党、共産党で立ちたかったら共産党で立てばいい。その人の主義、政党には、私は干渉しない。胸の奥底に広宣流布をしまっておけば、何党でもさしつかえない。」 『戸田城聖全集』(第4巻275頁)

↑ PAGE TOP

          戸 田 城 聖 氏 の 指 導

きょうは地区部長以上の集まっている幹部会なのだから、こういう席で話をするのではなくて、自分の部屋にいるのと同じ気分で、ゆっくり話しをしたいと思うがどうだろうか。

創価学会という会ですが、この会が、二万世帯とか五万世帯ぐらいの時なら問題ないが、五十万世帯になり、まさに八十万世帯になるというと、いろいろと問題が出てくる。

創価学会を、今日までもってきた私の理由は、宗教で金もうけをしているやつが世の中にいる。 立正佼成会にせよ、霊友会にせよ、宗教で金もうけするなんてこれはもっとも罪悪であり、インチキだと私は信ずるのだ。

こういうインチキ宗教どもを、ひとつ退治してやろうというのが私の根本精神なのです。

     宗教で金もうけするぐらい簡単なことはないのだぜ。

おさい銭をあげろと言うのだよ。 インチキ宗教のやり方は、功徳をもらうには手元がいる。だから金を出して神を拝めば、倍にも三倍にもなって出てくるから出せ、出せと言うのだよ。

そういわれると、もっともだと思うだろう。泣く泣く、皆は、ない金をはたいて出すでしょう。そういうことをして、 信者をだまして金を取る。 これくらい、世の中にかんたんなことはない。

やりたければやってもよいが、必ず地獄へ行くからやってみたまえ。それがいかんというのが、私の精神なのだ。

そうすると困ることが一つあるのだ。仏教のうえからいって、日蓮大聖人様の御書を読んでも、はっきりするし、釈迦の学説を聞いても、はっきりするが「お布施を出せ」 と言うことがある。

大聖人様は、お布施を出せとはおっしゃらない。しかし、法華経の行者を供養した者には、功徳があるとおっしゃっている。 そうすると、出さねばならないような気持ちが出てくる。どうだね。これが邪宗教の起こるもとになってくる。悪いことをするやつは、この原理だけ使うのだ。

日蓮大聖人様でないものが、大聖人様のような顔をして金を集めるから邪宗教だろう。

日蓮大聖人様もお釈迦様も、けっして、社会事業などやっていない。

釈迦が社会事業をやったのを聞いたことはない。

日蓮大聖人様が道路を直した話も聞いたことがない。

さて大聖人様は「銭一貫文給び畢(おわ)んぬ」と御書におおせられている。

悪いやつは、そこだけ、マネをするのだ。 だが。その後に書いてあるところを読んでごらんなさい。 仏法とはこういうものだ、お前の生活はこういうのだぞと仰せになっている。 私は御書に書いてある、あとのほうの信心を、ちゃんとやらなければならんと、こう考える。今日まで、それをやってきました。

ほんとうの法華経の行者に供養するなら、これはまた別だ。もし、日蓮大聖人様がここにいらっしゃったら、私など、裸になっても御供養してしまう。 これはほんとうの信心からくるものである。

そこで、今度は、私自体が問題になってくるのです。創価学会が参議院に三人も出し、また五十万世帯も持ちますれば、今度私のところへついてくる人間は、創価学会を利用したら、どれだけもうかるかというやつでそれが研究されているのだよ。

そうすると、戸田城聖というものは、動くわけにいかなくなる。 もし私が一つ動けばおかしなことに利用される恐れがある。

地獄へ行くつもりならば、何も恐くありません。
私は仏さまのところへ行きたいのですから、大聖人様にしかられるのはいやなのですから、そういうインチキなものとは、絶対組まないと思うから、本部にいても、お山へ行っても、断じて動かないことに決めている。

さあ、そこで、今度そう考えてくると、世の中というものは、金と権力です。 戦争中にはこれを、どういったか、あなた方も知っているでしょう。 「星とサーベルと顔」こう言って、あなた方を戦争にやったのでしょう。 創価学会にも、地区部長級になると、私のこのいちばん心配している問題に引っかかってくる。地区部長という位置につくと権力が出てくる。

      戸田は会長だからといって、権力を使いませんぞ。

おれは会長だからお前ら金をもってこい、物をもってこいとか言いませんよ。 君らの中で、私になにか、くれたい人がいるかも知れませんけど、断じてもらいませんよ。

さあ、そこだ。考えなくてはならないところが、そこなんだよ。金と権力が、この世の中なのだ。ですから貸借問題が起こる。金を貸してはいけませんとは絶対言いません。

ただ問題は、創価学会の地区部長とか班長とか言う位置を使って金のことや権力を振り回してはいけないと私は言うのです。 「おれは地区部長だ、おれは班長だ。金がいるから貸せ」。そんな生意気なことがあるか。学会の位置を使っての金銭の貸借は断じていかん。学会  の位置を使っての権力を振り回してはいかん。

      創価学会は、信心一途にいくものだと私は考えるが、どうか。

私には、権力もありません。創価学会の会長として皆様にたてまつってもらってみても、生まれをたずねれば漁師の子供です。どこに偉いところがありましょう。 創価学会の会長なんて、なにも偉くはありません。私が偉くないのだから支部長でも、地区部長でも同じく偉くないと思うのだ。

地区部長級などに「先生」というやつがいるのだ。婦人部の常任委員だとか。なにが「先生」だ。カマボコ屋のおやじが先生、ゲタ屋のおやじが先生になったと言うのだ。恥ずかしくないかね、どうだ。 たとえ、言われても、御本尊様のおかげて言われたのでしょう。そう思うたら、御本尊様に、涙を流してお礼を申し上げなければならぬと思うのだ。

地区部長だ、班長だという権力と位置を利用して金を借りたりするのは断じていかん。 事業は金をもたなければならない。政治家は権力をもたなければならない。 しかし学会は信心をもって構成し、運営しなければならないというのが学会の精神であり、私の精神なのです。

ほんとうに、信心なら戸田と太刀(たち)打ちしても負けるものかという相手なら私も受けましょう。 私はなにも、金に驚かない、権力にも驚かぬ。 だが信心だけはこわい。

だが、私は、日蓮大聖人様のお使いとして、七百年後の今日きたのでありますから、 創価学会なんてインチキだ、デタラメだというなら、言わしてやろうではありませんか。どんな結果になるか、断じて負けませんからね、私は。 三年かからずに、必ず結果をみせてあげる。

これが信心というものです。金でもなければ、権力でもない 学会の位置を使って、金のことや権力の行動をしたなら、必ず罰を受けるということを、きょうは宣言して、私の話を終わります。

昭和32年2月28日
本部幹部会
豊島公会堂

↑ PAGE TOP