SAMPLE CLUB

Welcome to the yukoku no bushi homepage

   下段、創価教育学会が反戦・平和で牧口・戸田会長が投獄されたのは嘘


「シアトル」 「芸者写真」 裁判の真相

日蓮正宗から離反した創価学会は、学会員の心を総本山から引き離すために、『創価新報』などの機関紙を使い、次から次へと、御法主上人猊下を中傷するデマの宣伝を流しました。その中でも特にひどかったのが、いわゆる「シアトル事件」と「芸者写真」です。

概 要

学会が「シアトル事件」と称していた件ですが、これは、“昭和38年、アメリカのシアトルで日顕上人(当時・教学部長)が売春婦と金銭トラブルを起こした”等というものでした。

学会は、30年も前の話だから、どんなに事実無根の報道をしてもバレることはない、と思ったのか、ヒロエ・クロウという、シアトル在住の一学会員を唯一の告発者に仕立てて、クロウの口から語られる、現実にはありえない荒唐無稽な物語を機関紙誌に書き散らしたのです。

しかし、所詮は事実無根の話ですから、その物語には矛盾点がたくさんありました。

宗門側は、その矛盾点を挙げて、「シアトル事件」などというものは現実に存在しない、作り話だ、反論しました。

それに対して、学会は、ヒロエ・クロウを原告にしてアメリカで裁判を起こしました。「クロウを嘘つき呼ばわりしたのは、名誉毀損(きそん)だというのです。

これが、学会の言っていた「シアトル裁判」です。

このアメリカでの裁判は、学会・クロウ側が完全に敗訴して終結しました。

アメリカの裁判所は、「この裁判は、日顕上人を陥(おとしい)れるために創価学会が仕組んだものだ」と、判決文の中でハッキリと認定したのです。

一方、日本の東京地裁でも、これに関して裁判が行われていました。こちらは、学会のあまりのひどい報道に対して、宗門側が名誉毀損で提起したものです。

この裁判の過程でも、宗門側の綿密な反論により、「シアトル物語」の崩壊は、誰の目にも明らかとなりました。

ところが、平成12年3月・・・判決直前に2度も裁判長が変わった末、東京地裁の下田文男裁判長は、宗門 側の物的証拠に基づく緻密かつ論理的な主張を一切無視し、ただヒロエ・クロウの陳述だけを無理やり認める形で、学会側を勝たせる判決を下しました。

宗門側は、即刻、東京地裁に控訴しました。そして、その裁判は、平成14年1月、宗門にとって勝訴以上の大勝利で決着したのです。

すなわち、

〇 創価学会による「シアトル事件」云々などという報道は、今後、完全に差し止めとする

〇 一審における下田判決(宗門敗訴の不当判決)は無効とする

〇 日蓮正宗側が“「シアトル事件」なるものはなかった”と否定することを、学会側も承諾するとの内容で、和解が成立したのであります。

これは、40年以上近くも前のアメリカ・シアトルでの出来事について、それがあったとも、なかったとも、立証することは裁判上、極めて困難であることから、東京高裁より強く和解勧告があり、この決着となったものです。

では、一審の不当判決により、いったん優勢になったかに見えた学会側が、何故、こうした逆転敗北ともいえる和解に同意したのでしょう。 それは、もとより、シアトルでの事件なるものが、「あった」として大宣伝を繰り返した学会側には、それを裁判の中で立証すべき責任がありましたが、客観的に第三者を納得させられるような立証が全くできず、このままでは敗訴となってしまう見通しが高まってきたからに他なりません。

そもそも、言論の自由を謳う憲法のもと、報道差し止めの条項を組み込んだ和解となることなど、極めて稀なことでありましょう。

それ故、この決着は、日蓮正宗として「勝訴以上の大勝利」といえるのであり、これによって途中の不当判決も全て消し飛んだのであります。

↑ PAGE TOP

     創価教育学会が「反戦・平和で弾圧された」は嘘

戦争中は一億国民の上から下まで「聖戦」に勝つことを願って一丸となっていた。 反対していたのは、共産党と一部左翼運動家だけでした。

新聞や雑誌もすべて「戦争礼讃」一色だったし、戦後、もっともらしく反戦・平和を売り物にするようになった 進歩的文化人の多くも、戦争中は先頭に立って戦争を礼賛していたのです。

そうした状況の中で、「反戦・平和」などと言ったら、軍部の弾圧を受ける前に、周囲の国民から「非国民」だ と総スカンを喰い袋叩きにあったでしょう。

既成の仏教集団も、皆、戦争中の戦争協力を認め、反省し、自己総括した上で、今日「反戦。平和」を 唱えているだけです。

日蓮正宗においても、戦争中は、軍部による「宗教統一」の圧力や、言いがかりをつけられて弾圧されることを 避け、700年来の伝統と教義を守り続けるべく大変苦労されていました。ですから、「戦争反対」などと言える状況にはなかったのです。

昭和18年当時の創価教育学会が、何とか弾圧を逃れるために、型通りの神札を受けることにし、戦争協力を 訴えざるを得なかったことは、特に恥じることではないと思います。

それを、事実を曲げ、「戦争・平和」を唱えて弾圧された、などと言いだしたのは、「言論出版問題」において、 創価学会批判の急先鋒となった左翼関係者や文化人達の攻撃をかわすため、そして、公明党に「社・公・民」 などと左翼的路線を取らせ、国民の人気を取らせるためです。また、外国においては、反日感情をかわして布教を進めの方便として言い出したわけです。

本当は、多額の寄付をした見返りに勲章や名誉称号の授与がなされる、というのが、与える側と 受ける側、双方の本音なのですが、それを隠し上辺を綺麗ごとで取り繕うために、「反戦・平和」 などと強調しているのです。

戸田城聖氏は、極めて右翼的な思想の持ち主であり、「水滸会記録」や戸田時代の学会歌や組織、 文化祭を見ても、戦争の「右翼思想」を濃厚に持っていたことが分かります。

ことに「水滸会記録」を見ますと、戸田城聖氏は再軍備論者であり、徴兵制度の支持者であり、中国や韓国 、東南アジアに対する認識も「支那」とか「朝鮮」と呼び、戦前の植民地や中国侵略を行っていた当時、 これらの国を見下し、蔑視し「日本国は優秀なエリート民族だ」とうぬぼれていたことが、記録から見て取れます。

また、日本が盟主となってアジアを統一し、欧州・アメリカと「三国志」をやるべきだと言っています。

牧口氏も、戦前、萬世一系の天皇が現人神(あらびとがみ)であると信じ、武力による侵略戦争、特に中国に 対する侵略を正当だとする見解を述べています。

そうしたことをきちんと自己総括することもなく、うわべを塗り替え、戦争中は「反戦・平和」で弾圧され、以後、 一貫して「反戦・平和」を訴えてきた。などと「嘘」をついているからそれがばれそうになると慌てなくてはなら ないのです。

当時の創価教育学会が、「日本の国が戦争に勝つためには、天皇陛下が法華経を信仰するしかない。さもなければ 日本は戦争に負ける」と主張したことが「治安維持法違反」に

「天皇陛下は、天照大神の萬世一系の子孫たる 「現人神」である。その天皇陛下を崇める以外に天照大神の札を拝むことは、二重になるから必要ない」 と主張していたことが「不敬罪」に問われたのです。

けっして、「反戦・平和」などと言ってはおりません。

創価教育学会が弾圧され、牧口会長、戸田理事長が投獄されたのは「治安維持法違反」および「不敬罪」の嫌疑 によるものです。

↑ PAGE TOP