東条英機の遺書,愛国,天皇

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アルマジロかヤマアラシか

パトリオット…愛国者と認知された日本の首相

うちのじーちゃん(父)は七月で86歳になった。
長生きしてもらいたい。理由は二つ。
この世に出して育ててもらった恩返しが足りない。
そして、戦時を体験している生き証人。まだ死んでもらっては困る。

国会前で集団的自衛権反対デモに参加している人々。じいちゃんに比べればずっと若い。 終戦後の70年の「平和な」日本で生きてきた。戦中戦後の悲惨には実感がないはずだ。 「三丁目の夕日」で言うなら鈴木モータースの天真爛漫な息子と仲間たちの世代以降。 いわゆる「戦争を知らない子供たち」。鈴木家の両親は戦争を知っている。

じーちゃんはアメリカ軍の無差別爆撃も広島長崎の被爆地の跡もその目で見てきた、
軍事施設はともかく、犠牲者の大多数は非戦闘員、兵役未満の子供、女性と年寄り。
沖縄は確かに激戦地ではあったけれど東京、名護屋、大阪も何十万の市民が殺傷された。 非戦闘員の殺戮は国際法違反であり、非道極まりない。しかも、故意での市街地爆撃。

大戦中の日本が「絶対善」などとは夢にも思っていない。
旧軍部の中枢には利権や名誉で動いた人間たちも確かにいた。
戦争の犠牲者の大多数はどの国においても一般市民である事に間違いはない。
なのに地球上に戦争は絶えない。今この時も死に行く無辜の人々がいる。

何故か......。戦争、紛争は「話し合い」などで解決しなかった結果だからだ。
解決するのはお互いの戦力と利害が均衡する時と、戦力に圧倒的な差がある時。
一国の市民が「戦争反対」を叫んで戦争が回避された試しはない。悲しい事だが相手がある。 民主主義の国家で市民と国は敵対しない。敵は国の外にあるだけだ。

中国共産党が東アジアの国々と日本の言い分に耳を傾けてくれるとでも?
天安門事件で民主解放を叫んだ人々に発砲し、果ては戦車で轢き殺した。逃げ惑う市民も。 中国政府の発表では死者約400人。現地の外国人報道機関は1万人から2万人と目測した。 広場に集まった学生達は武装蜂起した訳ではない。ハンガーストライキだったのだ。

北朝鮮のキムジョンナムが核武装と恫喝を止めてくれるとでも? 「話し合い」で?
拉致被害者については26年間に渡って交渉と呼ばれる「話し合い」を続けて来たのだが…。 ロシアがウクライナを旧に復し、条約を無視して奪った北方四島を返還してくれるとでも? 韓国が竹島を軍事占拠したのは日本が無抵抗の敗戦直後の事。日本人漁民の死者数44人。

先日面白い記事を読んだ。すぐにスイスを連想した。
アメリカのある州でアルマジロに発砲した市民が跳ね返った弾で負傷したそうだ。
アルマジロは攻撃的な動物では無い。昆虫やミミズ、ヘビなどを捕食して生きている。
だからと言って攻撃はしない方がいい。鉄壁の自衛手段を持っている。

日本がアルマジロになるのも一つの手段ではある。反対はしない。
が、「鉄壁」であるためには市民レベルの武装と徴兵が必須なのだ。スイスはそうだ。
では、せめてヤマアラシ。ヤマアラシは草食だから自身に攻撃の意志などさらさら無い。
それでも攻撃して来る者にはまず威嚇で応え、いざ危険となれば針を飛ばす。

ヤマアラシが17匹のライオンに囲まれて見事に生還したと言う話がある。
ヤマアラシを飲み込んだニシキヘビは気の毒だが死亡したそうだ。
あらゆる生きとし生ける者は自衛の手段を持っている。ただただ「生きる」ためだ。
人間だけが時にそれを放棄する。「非武装、否抵抗」の先に何があるのか。

「話し合い」は「言語」を持った人類にとって無視出来ない段階ではある。
しかし、決裂した場合は?相手に聞く耳が無かったら?突然の攻撃を受けたら?
アルマジロか、ヤマアラシか…。重ねて言うが、どちらも至って自発的な攻撃性は無い。
人類の英智は動物から学んだ方がいいのかも知れない。
2015年08月11日(火) 08時57分49秒
http://ameblo.jp/komattachyan/entry-12007507415.html

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        永遠の0と静かなる抑止

航空自衛隊に配備されているF35。16機のうちの一機。機体の日の丸が美しくも頼もしい。  ← (画像説明)

白状すると、「永遠の0」を私はまだ観ても読んでもいない。


2年間以上日本に帰国していないと言うのも理由の一つだけれど、頼めば本は送って貰える。 だけど、手元にあったとしても読めないだろうと思っているので、頼まない。
内容は理解しているつもりだ。ネットであちこち齧りまくっているから。

じつは「出口のない海」「硫黄島からの手紙」もDVDでちゃんと持っている。
観られない。 根性無しと呼ばれてもいい。内容を知っているだけに観る事が出来ない。 辛い、などと言う言葉ではとてものことに追いつかない。両眼に粗塩を擦り込まれるような、 背骨を捻じ切られるような、そんな思いに耐えられそうに無いと思うのだ。

「永遠の0」は作者の百田尚樹さんが繰り返し言われるように、明確な反戦の物語だ。
親兄弟、妻や子を残し、故郷を離れ、死地に赴きたい人間がどこにいるだろうか。 が、彼らの最後の言葉は「天皇陛下」もしくは「大日本帝国」万歳。そして、「お母さん」。 彼等は自分自身の未来と希望を捨てて、跡に残る祖国と愛する者を想ったのだ。

「特攻」と言う作戦は確かに愚行以外の何物でもない。だが結果として敵国を震え上がらせた。 それは、敵機が突っ込んで来るという恐怖ではない。実際特攻の成果は微々たるものだった。 「自分」と言う何よりも大切なものを捨てる事のできる日本人の魂に震え上がったのだ。 祖国、愛する者、生き様、信念、順法......。それも百田さんは描きたかったのではなかろうか。

戦争は間違いなく「悪」だ。私だって人に聞かれれば「反対!」と応える。
戦争と聞いた時、多くの人々は先の大戦や中東、ベトナム、朝鮮半島を思い浮かべるだろう。 弾丸飛び交う血みどろで凄惨な戦争。確かにそれも現在進行形ではある。 が、それも変わりつつある。核はすでに拡散し、時代は衛星とコンピューターが支配する。

「核無き世界」には失笑してしまう。アメリカはロシアに次いで世界第二位の保有国だ。
次いで、中国、フランス、イギリス。見事に国連常任理事国に当てはまる。 が、ここに来て戦争の様相は変わりつつある。いわゆる、ハイブリッド戦争と言うもの。 軍備のハイテク化に加えて、情報操作、洗脳、ハッキング、金融経済の乗っ取り.....。

世界中はすでにハイブリッド戦争の渦中にある。先進国中で日本はすでに周回遅れ。
ハイブリット戦争の成果か、民意がすでに右、左と呼ばれる二つに分断されてしまっている。 この内紛を、中国と北朝鮮は腹を抱えて笑っているにちがいない。 しかも自衛隊はいまだに継子扱いで「軍」とも呼ばせて貰えない。情け無いやら悔しいやら…。

さて、写真のF35。日本には現在16機。この後すでに42機が発注済みである。
F35はステルス性能を備えた第5世代の戦闘機で、垂直離着陸が可能。 アメリカはアリゾナ州のユマに配備されているF35,10機を来年岩国に配備する事を決めた。 アメリカが自国のF35を自国以外に配備するのは初めての事だ。もちろん中国を意識しての事。

0の精神は受け継がれていると信じる。が、時代はすでにはるか遠くに進んだ。
F35は現存する戦闘機の中では最強と言われている。他の戦闘機では全く相手にならない。 そして、わが航空自衛隊の訓練の厳しさ、戦闘機乗りに求められる技量も群を抜く。 敵戦闘機や敵艦ばかりか、核基地をもレーダー捕捉される事なく叩く事が出来る。

戦争には反対だ。私ばかりではない、日本国民全部が反対のはずだ。
右も左も無く。
ならば、仕掛けたい国に戦意を喪失させる「抑止力」が必要なのだ。 F35が日本の国土で雄々しい機体の羽を休めている姿を見ると希望が湧く。
静かなる抑止力.......。

まだ書きます。そのつもりです。
お一人にでもお二人にでも読んで頂きたい。
私に出来る事はそれしかありません。
2015年08月12日(水) 19時57分11秒

http://ameblo.jp/komattachyan/entry-12061027118.html

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       A級戦犯として処刑された日本人の遺書

「わからんかったんかい」さんが「日本の一番長い日」を観て来たという。 これはリメイク版だ。大宅壮一さんのノンフィクションを東宝が映画化したもの。 初作は1967年で、カラー作品では無かった。当時10代だった私にも名作と解った。 あの頃はまだ怖いもの知らずで初作を観たが、それでも胸に重く硬い物が残った思い出がある。

「わからんかったんかい」さんは今回作中の東條英機がクレイジーに描かれていたと言った。 そうなのか?彼は立身出世の極みに居たゆえ、アジア、欧米をも手中に納めたかったのか? そのためには国民の犠牲など眼中に無かったのか? いや、全ては戦勝国の独善だと私は思う。 ヒトラーやスターリンが精神的、人格的に問題があったと言うなら話はわかる。同意もする。 皆さんに彼の遺書を一読してもらいたいのです。後悔はさせません。どうか、どうか…。

東條英機の遺書


 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。
今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。 しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。 力の前に屈した。 自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。 ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

 天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。
元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。 日本の軍に従事し、斃れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。

   今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ。
もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。 この裁判は、結局は政治裁判に終わった。 勝者の裁判たる性質を脱却せねばならない。

   天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。
天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。
存在そのものが必要なのである。
それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。

 東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。
東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。 インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。 これをもって東亜民族の誇りと感じた。

 今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。
列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

 現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。  また、日本人が赤化しないように頼む。 東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。 実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

 こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。 終戦後わずかに三年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。
こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

 日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。
しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。
実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。 よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。 日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。 いまや満州は赤化の根拠地である。 朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。 米英はこれを救済する責任を負っている。 従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。

 日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。
それは一応は賢明であるというべきである。
しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。

 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。
現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。
これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。
国家から欲心を除くということは、不可能のことである。 されば世界より戦争を除くということは不可能である。 結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。
それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。

 第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。
第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。
それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。
米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。
この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。

 第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。
この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。
米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。
そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。

 米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。
およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。
産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。

 なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。
今や戦後3年を経ておるのではないか。 新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。 米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。 戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。 出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。 従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。
戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。

 青少年の保護ということは、大事なことである。
近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。
この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。
もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。
これらについては衷心、謝罪する。
これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。 従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

 最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。 あれでは陸海軍一本の行動はとれない。 兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。
我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。

 教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。
忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。
この点については、大いに米国に学ぶべきである。
学校教育は、人としての完成を図る教育である。
従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。
宗教の観念を教えなければならぬ。
欧米の風俗を知らせる必要もある。
俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

 昭和23年12月22日夜、死刑執行 (12月23日0時) その数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が朗読した遺言の摘要。

( 『秘録 東京裁判』 清瀬一郎著 (中央公論新社) より

お読み下さり、誠に有難うございました。
なを、以下に「英米諸国人」、「日本同法国民諸君」「日本青少年諸君」に告げた文を 追加掲載いたしました。お気持ちある方々はどうかご一読下さいますように。

( 英米諸国人に告げる ) 今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。

もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。
諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。

( 日本同胞国民諸君 ) 今はただ、承詔必謹する 〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕 だけである。 私も何も言う言葉がない。

ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。
不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国にあるということは動かすことのできないことである。

力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。日本は神国である。永久不滅の国家である。皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。

諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。

( 日本青年諸君に告げる )( 日本青年諸君各位 )
我が日本は神国である。この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。

現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。

また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、彼らの英魂毅魄〔伴注:美しく強い魂魄〕は、必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。
殉国の烈士は、決して犬死したものではない。諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。
これこそがまことに私の最後の願いである。思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。

真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである。
 (ウィキペディアより引用)
2015年08月13日(木) 08時52分09秒
http://ameblo.jp/komattachyan/entry-12061214493.html

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何時でも日本は立ち上がる

五省


東日本大震災の後、各国の援助に感謝して制作されたポスター。
私は領事館で見ました。素晴らしいデザインです。

五省

一、至誠(しせい)に悖(もと)る勿(な)かりしか

……真心に反する点はなかったか

一、言行(げんこう)に恥づる勿かりしか

……言行不一致な点はなかったか

一、気力に缺(か)くる勿かりしか

……精神力は十分であったか

一、努力に憾(うら)み勿かりしか

……十分に努力したか

一、不精(ぶしょう)に亘(わた)る勿かりしか

……怠け心は無かったか

これは、旧海軍士官学校の訓戒。現在の海上自衛隊の訓戒でもあります。
アメリカ海軍もこれに感銘を受け、かのアナポリス海軍士官学校に英訳が表示されています。 文面に軍事色などは全くありません。現在の教育現場で用いられても良い程です。

人間として精一杯に生きているか、自分に恥ずる事はないかの問いかけです。 日本人にこの姿勢がある限り、日本はいつでも立ち上がる、と信じます。

さて、いつも時間と気分に合わせてブログを揚げている私。
ここ数日やたらと頑張っているのは終戦記念日が近いので。
五省の最後の二つですね。
「十分に努力したか」「怠け心はなかったか」。
たった数日の事でも、実はヘトヘトです。
分の頭の回転の悪さを痛感します。

今日は二つのブログを揚げました。テーマが重くてごめんなさい。 意見や立場の違いを乗り越え、日本が一つになって立ち上がる日が見たい…。
2015年08月13日(木) 17時40分33秒
http://ameblo.jp/komattachyan/entry-12061393775.html

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            死 屍 累 々

日本時間の今頃…。安倍総理は「談話」を読み上げておられるだろうか。


死屍累々…。屍(しかばね)に屍が重なり合う様子。
恐ろしい、縁起でも無いとお思いの方も多いのではと推察する。

でも、私はこの言葉が好きなのだ。
今自分が「在る」事、そのものが太古の時代からの死屍累々の上に立つ。
安倍総理も日本国民も、当然私も私の知る全ての人々もやがて命を終える日が来る。 そして、その屍の上に、屍を乗り越えて、新しい時代の人々が生き立つのだ。 安楽な大往生ばかりではない。非業の死、志半ばの死、無念、慟哭の死…。 今を生きる全ての人々がそれを甘受し、嘆き、想い、黙々と前に進む。

戦後の焼け野原に立った人々の足元にはどれほど多くの屍があったろう。
が、生きねばならなかった。親や子、孫、隣人を思い、極貧にも屈辱にも耐えた。 アメリカの占領下で食物を恵まれ、アメリカ制の憲法を甘受した人々を恨む権利は誰にもない。 ネジ一本、石鹸一つ、路地裏で育てたカボチャ一つから彼らは立ち上がってくれたのだ。

戦後70年…。世界の誰もが二度と立ち上がれまいと断定した状況からの70年だった。 戦勝国アメリカの洗脳は敵ながら天晴れな程に徹底していた。
日の丸と国歌を否定する教育者。敵国条項、地位協定。そして、「戦後…年談話」 思い返せば前回、小泉総理の60年談話にすら、まだ「反省と謝罪」の言葉があった。

戦争に「善い戦争」などあるはずはない。それは人類共通の認識だ。
その上で太平洋戦争で日本に「正義」があったか無かったか、それは今ここには書かない。 それを議論の俎上に乗せたい方は拙ブログの「東京裁判で処刑された日本人の遺書」 を一読して頂きたいと思う。

安倍総理が70年談話を出すべきか否かについて、又その内容についても多くの議論があった。 私は始めから「出して頂きたい」と思っていた。「謝罪」の一言を抜いて。
それだけで良いとも思っていたし、安倍総理はそのおつもりだとも信じている。 60年談話で完結しては日本は未来に踏み出す事が出来ない。未来永劫「謝罪国」のままだ。

安倍総理の政権がいつまで続くか誰にも分からない。自分の命の終わりを誰も知らないように。 しかし、一歩を踏み出せば、次の世代はそこからの一歩を始める事が出来る。 太古の人は火を編み出した。聖徳太子は17条憲法をお創りになった。 織田信長は天下統一を目指し、坂本龍馬は維新を担った。全ては死屍累々である。

そして私たち名も無き庶民が時代を支え、次の時代にそれを託す。
誰もがいつかは死ぬ。が、半歩、一歩前へ。希望を後に残して死なねばならないと思う。 安倍総理の70年談話に期待する。戦後の自虐史観脱却の大いなる一歩として。 そして、日本の本当の意味での自主独立に向けた希望の灯りとして。

さて、今から産経ニュースを読んでみようと思います。安倍総理を信じて。
動画で見られるのは深夜になるか、早朝になるか…。
新しい日本の夜明けとなりますように。

2015年08月14日(金) 18時33分32秒
(ニュージーランド時間、午後10時)
けこ、拝
http://ameblo.jp/komattachyan/

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          けこが泣いた日

たった今。今日の日本を背負う人


昨夜ブログを書き終えてから「わからんかったんかい」さんに電話した。 気力を使い果たした気がして、弱音を吐きたかった。ただ、一言「疲れた」と。
電話中に自分の机の上のアイパッドが「リン、」と鳴り、産経新聞の号外番の知らせ。 「安倍総理の談話発表!」。一人でなくて良かった。 「わからんかったんかい」さんが電話の向こうに居る。どうやら外出中らしかったが…。

「事実は勇気を持って知るべきだ」と先日彼女に説教がましく言ったばかりだった。 それなのに談話の内容を知るのが怖くてならなかった。
安倍総理を信じる、と書いたばかりではないか。「五省」の記事を書いたのは2日前ではないか。 安倍総理への信頼が揺らぐのが怖かった訳ではない。日本人の民意の現実が怖かったのだ。

日本以外の諸国に向けた「痛切な反省とお詫びの気持ち」。
その一文が全文の中程にあった。「お詫び」…。
全てを読み上げ切り、「わからんかったんかい」さんと会話しながら私は泣いた。 国内世論と日米の力関係に屈服した、太平洋戦争に斃れた兵士の名誉は回復されなかった…。

ところが、ところがである。
毎日のブログを揚げるのに必死の間、私は日課の「ザボイス」を聞く余裕すら無かった。 今日の昼間、談話の前日の「ザボイス」を聞いた。
金曜日担当は青山茂晴さん。
青山さんは土曜日の安倍談話の内容の全貌ををすでに知っておられたのだ。

私は滅多な事では泣かない。その私が泣いたのはひとえに自分自身の感情の為せる業。 私の敬愛する文豪、夏目漱石さんの名文にあるではないか。
「情に竿させば流される。知に働けば角が立つ。とかくこの世は生き難い。」 泣いてどうなるものではない。情、でこの生き難い世の中が変わるものか!

阿倍総理の談話に「謝罪」の言葉は確かにあった。
けれども、それ以外の内容にはこれまでに無い価値ある部分が多く含まれていたと思う。 自分の期待通りで無かったからと言って涙するのは本当に馬鹿げた事だ。 安倍総理はジリッと前に出てくれた。後退したと言うのでだけは絶対にない。

総理大臣と言う立場は想像を絶するプレッシャーを抱えながら知力と胆力を試されるものだ。 志も知性も品性も無く、いまだに国益を損ない続けている「元」総理もいるけれど。
安倍総理が古今最高の総理大臣だなどとは言わない。それは「時」が証明する。 けれど、決して忘れないでいたい事がある。全ては「民意」だと言う事。

戦後民主主義がいくらアメリカからの頂き物だからと言って、民主主義国家の主権者は国民。 60年体制と呼ばれた自民党政治も、数年で潰えた民主党政権も、もちろん現政権も「民意」。
国民の意識のありように従った政治が必ずそこにある。
民度低くして政治が高みに登る……あり得ない。

戦後70年にあたって、不肖けこからも戦禍に斃れた多くの人々に 心からの追悼の祈りをささげます。
どうか、これからも誇りある日本人の未来を導き、お見守り下さい。

泣くのはやめよう。考えよう!
2015年08月15日(土) 18時08分08秒
http://ameblo.jp/komattachyan/entry-12061836445.html

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これだけは言いたい

日本を考える

議会制民主主義とは何か……ひとことで言えば「国民が主権者である」と言う政治体系。 主権者である国民の意志を反映するために「選挙」がある。 選挙で選ばれた議員は議会で議論を戦わせ、最終的には多数派の意見が決定権を持つ。
何か間違っているかな? 大学まで行かなくても義務教育中に教わったはず。

民主党の無責任とハチャメチャぶりに嫌気がさした国民が自民党政権を復活させた。 それが2012年。第二次安倍政権の誕生。圧倒的勝利だった。
ここで言いたいのは、かつて民主党を勝たせたのも国民なら自民党を復活させたのも国民。 全ては民主主義国家の「法」に則って「選挙」によって創られた日本の政治。

任せられる政党が無かったから投票に行かなかった?
ちょっと待って、投票は国民の権利でもある代わりに「義務」でもあるのです。 権利と義務を放棄したあなた。あなたに出来る事は国民として決められた「法」を守るだけ。 でなければ自分で立候補するのもよし、政党を立ち上げるのもよし。

「政治なんてわかんないし、関係ないもーん」。と仰るあなた。 本当に関係ないかどうか、そのうち分かる日が来るでしょう。
「どうせ私の一票なんて反映されっこないしねー。」と仰るあなた。 あなたの意志が反映される努力をする気もなくて「どうせ」はやめて下さい。

SEALDsとかいう学生団体が国会前で定期的にデモをしているとか。 「集団的自衛権反対!民主主義って何だ!国民をナメるな!」云々、云々……。
その中の二十歳を過ぎた方々に聞きますが、あなた方、投票には行きましたか? 「行ったけど反対政党が勝ってしまったんだ」…そう、それが民意、民主主義なのです。

民主主義の法に従って決められた国策、法には従わねばなりません。民意ですから。 少数派に求められるのは法に従って注文をつけ、縛りをかけ、監視する事。
決定に反対する事ではありません。もう一度申しますが、決定は民意です。 そして、国民の安全保障は全ての民主主義国家の最優先事項。「命あっての物種」…。

自民党の党是は「憲法の改正」。知らなかったなんて言わないで下さいね。 安倍総理は2012年の発足当初から「集団的自衛権」と「日米安保の強化」を明言しています。

その上で、2014年末の選挙でも圧倒的な議席数を得ています。国会審議が始まる半年前です。 投票率が低かった? ……投票に行かなかった方々、何してたんですか?

多数決を「強行裁決」と言い換えるのは止めて頂きたい。
議場を退出、裁決をボイコットした野党議員は明らかに責任放棄です。 例え自分達が少数派であっても、最後まで支持者の意見を反映させるために力を尽くす。 それが野党の役割であり、存在意義ではないですか。何のために給料貰ってるの?

私は「自民党万歳!」などとは言いませんし、思っても居りません。
自民党の60年体制にゲロが出そうになって(済みません)、日本を出た人間です。 安倍総理を信頼したい、と言うのもあくまで「願望」であって、監視を怠るつもりも無い。 ただ「国益を護る事を第一義として努力を怠らない」稀なる総理ではあると思っています。

SEALDsは「自由と民主主義のための学生緊急行動」の略なのだそうです。 自由とは……国家の自主独立を意味します。その上で個人の選択の自由が存在する。 民主主義とは……すでにお話しました。学生さんたち、義務教育は受けたはずですよね。 自由、民主主義、そして平和の内に生きる権利を得るには義務が発生するのです。

これが今日どうしても「言いたかった事」。
これだけは言いたい……何故ならこれが全ての根幹だから。
2015年08月18日(火) 19時21分26秒
http://ameblo.jp/komattachyan/entry-12063161738.html

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