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悪しき天才巨大な俗物 池田大作創価学会の乱脈経理

創価学会 乱脈経理 池田名誉会長からの贈り物

私の手元に削価学会の池田大作名誉会長から寄贈された香合がある。香合とはお香を入れる 容器のことだ。説明書には金の合金で作ったものだと書いてある。

香合は桐箱に人っていて、大きさはタバコ一箱より少し小ぶり。創価学会の紋章?八葉蓮華 の浮き彫りが表面に施され、裏面には「一九九ニ年五月三日」「大作」と墨色で刻印されてい る。五月三日は池田氏が学会の第三代会長に就任した記念日である。

 桐箱を包む熨斗紙には次のような私の走り書きがある。 『平成四年五月三日、第二次国税調査無事終了を記念し、特別につくらせたものとの香合を池 田名誉会長より贈与される』

 私が香合を受け取ったのは記念日から五日後の一九九一年五月八日のことである。東京信 濃町の学会本部で森田一哉理事長から手渡された。森田氏と会った後、私は池田氏の秘書役である長谷川重夫副会長(学会本部第一庶務室長)を訪ね、池田氏へのお礼を伝言した。

このときの様子を当日の手帖に私はこう記した。 《森田理事長に池田名誉会長よりの香合とりにいく。「国税との交渉、まったく感謝してい る」。長谷川に会う。「この香合は特別につくったもの。特別の人にさし上げることになってい る。矢野さん国税の解決ありがとう」

》  私は一九六七年に公明党の国会議員に初当選すると同時に、池田氏の指示で党書記長という 要職を任された。書記長は毎日多くの人と会い、処理する仕事も多かつた。そこで私は日々の 見聞や感想を手帖にメモすることにしたのだが、いつの間にかそれが習い性になり、議員を引 退するまでに書き溜めた手帖は一〇〇冊近くにのぼる。

 この手帖は、後に、我が家に押しかけてきた公明党OB国会議員三名によって無理矢理持ち 去られ、それを巡って裁判にもなったことから「黒い手帖」などと呼ばれるようになったよう だ。彼らとの裁判では、私の主張がほぼ全面的に認められ、二〇〇九年一〇月に手帖は私に返 還された。

 その経緯については拙著『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』『「黒い手帖」裁 判全記録』(いずれも講談社)に詳しく触れたので、ここで繰り返すことはしない。  いまは、学会を退会(〇八年五月)し、私に対する非人道的人権侵害の数々(評論家活動の停 止要求、機関紙などでの名誉毀損、億円単位の寄付の強要など)に関し、学会と幹部七名を提訴し ている身だ。

 当時の手帖にメモしたとおり、香合は「国税のこと」、具体的には一九九〇年から九二年に かけて行われた、学会に対する国税庁の「税務調査」を解決した御礼として、池田氏から個人 的に贈られたものである。

 だが、せっかくの頂き物ながら、私にとってこの香合は税務調査を妨害するために行った醜 悪なやり取りを思い出させる品でしかない。私は、国税庁に働きかけて学会と池田氏個人への 税務調査を妨害し、ウヤムヤにした。その代償として受け取ったのが、他ならぬこの香合なの である。

 熨斗紙と手帖の両方にわざわざ私がメモを残したのは、私が行った犯罪的とも言える不本意 な行為をけっして忘れてはならないとの自戒からであり、さらに当時の池田名誉会長と学会首 脳の狼狽ぶりや、なりふり構わぬ組織防衛の実態を忘れないようにするためだった。

 池田氏への税務調査を私がどのようにしてウヤムヤにしたかは本編をお読みいただきたい が、その前に、税理士でも会計士でもない政治家の私が、税務調査への干渉という恥ずべき行 為に走った経緯に触れておきたい。

「捨て金庫事件」

 そもそも学会に国税庁の税務調査のメスが入るきっかけは、一九八九年のいわゆる「捨て金 庫事件」である。これ自体、仰天するような大事件だった。学会系の聖教新間社の本社食庫に あった古金庫がゴミ処分場に誤って捨てられ、金庫の中から一億七〇〇〇万円の現金が見つか った事件で、当時、社会的に大きな話題になった。

 この事件によって学会の金満体質が世間に強く印象付けられ、学会マネーに社会の関心が集 まった。なかでも重大な関心を示したのが国税庁だった。

 国税庁はかねてより学会マネーと池田氏の個人所得をマークし、極秘裏に学会と池田氏に関 する情報を収集していたとされる。  だが相手は日本最人の宗教団体とそのトップであり、しかも公明党という野党第二党の支持 母体だ。国税庁としても、おいそれと手が出せる相手ではない。そこに捨て金庫事件が起こ り、学会マネーに対し社会の不審が高まったのを奇貨として、国税庁は学会マネーというタブ ーに切り込んだのだ。

 まず一九九○年から九一年にかけて、国税庁は学会本部に対し、事実上、初めてとなる第一 次税務調査を敢行。引き統き九二年まで第二次税務調査を実施した。二度の税務調査に池田氏 はじめ学会首脳はパニックに陥つた。

 しかも税務調査の最中に学会を舞台とする超弩級の大事件が発生したからたまらない。学会 系の美術館が購入したフランス印象派の巨匠ルノワールの絵画取引にからんで一五億円もの巨 額の金が行方不明になった、いわゆる「ルノワール絵画事件」である。

 この他にも証券会社による学会への巨額の損失補填事件など、学会の金絡みのスキャンダル が同時期に相次いで発覚し、学会は世論の集中砲火を浴びて大きな打撃を受けた。ボクシング にたとえると必殺パンチを五、六発喰らい、そのつどダウンしてふらふらになりながら、かろ うじて立っていたといった感じだった。国税庁は、これらの事件についても税務調査を行った が、ルノワール絵画事件では国税庁に加え、警視庁と東京地検特捜部まで捜査に乗り出した。 「私を守れ、学会を守れ!」

 税務調査と相次ぐスキャンダルの発覚に池田氏は激しく動転し、まるで悲鳴をあげるように 学会と公明党首脳らにわめき散らし、叱りつけた。池田氏がパニックになったのは他でもな い、池田氏自身が国税庁のターゲットになっていたからだ。国税庁は池田氏の個人所得を洗い 出し、法に基づき厳格な課税を実施する構えをみせていた。

 とはいえ池田氏から「守れ」と命じられても、学会側には国税庁首脳とのパイプがなかっ た。そこで池田氏ならびに側近が、羽の矢を立てたのが私だった。公明党書記長を二○年近く 務めた私が、国会対策などを通じて当時の大蔵省(現?財務省)、国税庁首脳陣と個人的に懇 意にしていることを池田氏らは知っていたのである。

 格好をつける訳ではないが、私にも良心があった。池田氏の意を受けた秋谷栄之助会長(当 時)から「池田先生のたっての意向だ」「弟子の務めだ」と何度も国税対策を依頼されたが「や ってよいことと悪いことがある」と私は抗弁し、断り統けた。

 国会議員は国権の最高機関たる立法府の一員であり、税の徴収や分配の公平性を担保すべく 法律を作る立場にある。その国会議員が税務調査潰しに手を貸すなどというのは言語道断の行 為だからだ。おまけに相手は、国家権力の背骨とも言える国税庁だ。おいそれと立ち向かえる ようなヤワな組織ではない。

 しかし、結局、私は池田氏の意向を断り切れなかった。おだてたり、すかしたり、ときには 信心を大上段に振りかざしての説得に私は根負けしてしまった。お世話になった池田氏に最後 のご恩返しをしたいとの思いも私の背中を押した。

「黒い手帖」の中身

 本書について、私が強調したいことは、次の五つの点である。  まず、本書は私の功名自慢話ではないということだ。むしろ本書の内容は私にとって恥多き 物語である。「信心で乗り越えよう」と何度も言われ、私は最後まで国税対策に取り組んだ が、しょせん私がやったことは税務調査の妨害という、人目をはばかる行為だ。私は反省を込 めて、そして学会を良くするために、あえて恥を曝すことにした。税務調査妨害の実行者とし て、また国民に選ばれて国政に携わった元政治家として、私には自分の恥を書きつくす義務が あると思っているからだ。

 第二点は、私や学会?公明党への好意から無理難題を聞いてくださった当時の政府高官、自 民党幹部に、私の記述によって多大のご迷惑をおかけすることになるのは私にとって心底辛い ということである。もし本書のせいで心ならずも関係者にご迷惑をおかけしたなら、心からお 詫びを申し上げたい。二〇年も昔のことであり、すべては過去という時間の濁流に流されたも のとしてご寛恕いただくことをお願いしたい。

 第三点は、そのような辛い思いを持ちながらも本書を執筆したのは、ひとえに創価学会上層 部の金銭感覚の麻痺症状に対する警告を行うためであり、私の警告を踏まえて学会経理の改善 と健全公正化が進むことを願うからである。現在においても、創価学会では会員に対して強い 調子で多大な財務(寄付)を募集している。諸外国の大学の勲章など池田名誉会長を顕彰して もらうために、SGI (削価学会インタナショナル)が多額の工作資金を使っているという噂も 後を絶たない。

二○年前、国税庁は学会に対し、乱脈経理の改善を強く指導し、それを学会が 必ず解決すべき重要な「宿題」として課した。はたしてそれは実現されたのであろうか。そう であることを願うが、いま学会中枢にあって経理を掌握している諸氏には、過去の隠蔽工作の 詳細を知る人はおそらく少ないだろう。拙著を参考にして経理の明朗化、公正化に努めていた だきたいと願う。

 第四に申し上げたいのは、本書は私の手帖と記憶に基づいて記述したという点である。した がってここに書かれているのは私が直接、見聞きしたことであり、書かれていることは事実で ある。とはいえ、当然のことながら、国税対策については、私の関知しないところで学会主導 で行われた別線の襄工作もあったと聞いているし、私と無関係に問題解決に尽くした公明党や 自民党の諸氏の貢献もあったことだと思う。私一人で国税調査問題のすべてを解決できたなど という不遜な気持ちは毛頭持っていない。

 学会首脳と密接に連携し、多岐にわたる点について事務的に国税当局と交渉したのは私であ るが、私の背後には法案成否の鍵を握る公明党の衆参両院における「議席の圧力」があり、そ れは私の存在以上に、大蔵省?国税当局に重くのしかかっていただろう。その議席の圧力が、交渉において私をバックアップしてくれたことは疑いない。  同時に、学会内部では税務調査に対する悪質な引き延ばしや証拠隠し、書類改竄が、交渉者である私にすら秘匿されて行われていたことも事実であり、それは本書をお読みいただければおのずと明らかになるはずだ。

 第五に強調したいことは大蔵省?国税庁に対する供応、買収の類は断じてなかったというこ とだ。私の働きかけなどを受けて国税庁が税務調査に関し、手心を加えたのは事実だが、国税 庁が法律逸脱や脱法判断を行ったことはいっさいなかった。本書では、私と交渉にあたった大 蔵省?国税庁高官の名前も実名で記しているが、彼らの名誉のためにも、それだけは断言して おく。確かに重要な問題の多くは「宿題」の形で先送りされた。だが、その宿題は、学会側が その後すみやかに対応するという誓約のもとに先送りされたのであって、高官たちが学会経理 の問題を免罪し、野放しにしたわけではない。学会経理改善の約束は守られたであろうと思い たいが、もし宿題が解決していないとすれば、それは学会側が責めを負うべき違約、怠慢と言 える。

 ともあれ、私は三年にわたって秋谷会長、八尋頼雄副会長(弁護士)ら学会中枢とほぽ?日 のように電話、面談をして、終始一貫、国税との交渉に携わってきた。その意味で秋谷、八尋 両氏は私にとって「戦友」と言うべき人たちだ。お二人は、池田氏から叱咤され、ときには罵 倒されながら、苦心惨憺して働いた。彼らのよすがは「信心」であり、その発想はしばしば超 論理的かつ強引になりがちだったが、学会を守る一念においていささかも劣るところはなかっ た。お二人は常々、「師匠を守るのが弟子の道」とお話しになっていた。純粋な信心と「師匠 を守る」という学会精神を一徹に貫いたことは、賞賛に値する。私が彼らの純粋な信心に突き 動かされたのも一面の事実である。しかし、私たちが行ったことは、削価学会の正常で建全な 発展のために役立つたのか?いま、私はそうではなかったと思う。醜悪な部分を温存させて しまったとすら思えるのだ。

 私は、学会の「乱脈経理」の実体を事実に即して正確に読者に知っていただきたいと考えて いる。このため本書では、登場人物はできるかぎり実名で記し、記述の元になった手帖の内容 は読みにくい部分もあるが、最低限の補筆に止め、極力そのままの形(本文中の《 》 部分) で提示することにした。私の手帖に残された記録、資料、さらに記憶を総動員して、創価学会 VS国税庁の死戦を再現してみよう。

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金は誰のものか

捨て金庫事件の報道は日增しに拡大していき、七月一日の新聞は神奈川県警と旭署が金庫の 出所を日本図書輸送と特定したと報じた。  事件が学会に飛び火したのを受け、私のところには学会や公明党幹部などから電話が殺到し た。ある学会幹部は「学会職員みんながあんなことをやっていると思われます。迷惑千万だ。 みんな怒り狂っています」と電話越しに憤りをぶちまけた。

 七月二日、秋谷氏から「捨てた金の帯封の明細がわかる方法はないか」と電話で問い合わせ があった。私が「藤井富雄都議会幹事長に相談するのが良い」と言うと秋谷氏は「了解」と言 って電話を切った。注目すべきは、ここで早くも秋谷氏が捨て金庫の中のお金の帯封を意識し ていることだ。中西氏がチマチマと商売で稼いだお金なら帯封の問題は発生しない。この金の 素性について、学会中枢も疑惑を持っていた証左と言えよう。

 混乱の中、秋谷氏は七月三日、学会員向けに「事件は中西氏個人の問題。学会は無関係」と いう趣旨の会長通達を出し、予告していたとおり中西氏一人に事件を押し付けた。  これに呼応するように中西氏は三日夜、日本図書輸送の大川社長らとともに横浜市内で緊急 記者会見を行い、「金は私のもの。昭和四六年(一九七一年)ころから三年間、総本山大石寺で 個人的に開いた土産物店で金杯などを売って儲けて脱税した金だ。聖教新聞地下倉庫に置い たまま忘れていた」などとこわばった顔で話した。

 中西氏は、池田氏や字会の金ではないかとの質問を明確に否定したが、中西氏個人の金だと 証明するものについては「私の話だけだ。了解してもらいたい。帳簿、伝票は処分して、な い」などと答えた。

 ほぼ同時刻に創価学会は、金庫が置いてあったいう聖教新聞社の地下二階倉庫を報道陣に 公開した。対応した三津木俊幸副会良は、金庫はストーブやカーペットと一緒に匱かれていた が、新しい倉庫を作ったためにれ冲を整理した際、持ち主がわからない汚れた金庫があったた め、四月中旬に中身を確認しないまま日本図書輸送に依頼して廃棄処分にした、などと金庫を 捨てた経緯を説明。「創価学会とも聖教新聞とも関係のない金だ」と学会とのからみを強く否 定した。

 学会側の説明を世問は訝った。大資産家ならともかく一宗教法人の職員が二億円近い大金を 金庫に入れたまま二○年間も放置し、存在自体を忘れてしまうなどということがあり得るだろ うか。そもそも金は中西氏のものではなく、中西氏が預かるか管理を委託されていたものだか ら、中の金に手を付けられなかったのだろう。これが人方の推測だった。矛盾だらけの中?氏 と学会の釈明に対し、あるテレビ番組では出演者が「嘘をつくならもっと上手な嘘をつけ」 と呆れ顔でコメントしていたが、国民の多くがそう思ったのではないか。

 先に触れたとおり、最大の謎は一〇〇〇万円の札束に大蔵省印刷局の封緘印付きの帯封がさ れていたことだ。これは市中に出回っていない未使用の官封券であることを示している。中西 氏は会見で、裏商売で儲けて、表に出せない金だから自分の手許に留めて銀行預金しなかった と話していたのに、なぜ金庫に一〇〇〇万円もの未使用の官封券が人っていたのか。金庫には 他にも別々の銀行の官封付きの札束もあった。

 また中内氏は三年問、副業として金杯などを売り一億七○〇〇万円をためたと話した。事件 発覚当時の価傾だと五億円にも相当する金額だ。そんな大金を、わずか三年間の土産物店での チマチマした商売で稼げるものだろうか。

「土産物を売って稼いだとしても何十万、何百万程度がせいぜいのはず。それがいつどこで大 蔵省印刷局の封緘印付きの官封券に化けたのか。あまりに不自然だ」 「官封券は学会ルートで手に入れたものだろう。中西氏個人が学会に内緒で稼いだお金なら、 学会ルルートを使ってそういう交換はできないはずだ」

 学会本部でも噂站がとめどなく拡大した。  本山の売店関係者も私にこう断言したものだ。 「中西さんが本山で商売してあれだけの大金を稼ぐなど絶対に不可能だ」  むしろ一億七○〇〇万円が創価学会の金だと考えたらどうだろうか。銀行にとって大口の預 金者である削価学会は大事な取引先だ。相手が大口顧客の学会だからこそ銀行は貴重な官封券 を渡し、それが何かの手違いで金庫に眠ったまま捨てられた。そう見るのが自然なのではない か。実際、学会内でもそういう見方が優勢だった。

 中西氏が大金の存在を忘れていたという点についても不可解な事実がある。中西氏は会見で 「金を忘れるのは、あなたにとってたいした額でないからか」と聞かれ、「そうではない。大事 な金だった」と語った。

 ところが七月六日の産経新聞が報じたところにょると、中西氏は一九八二年に東京都江戸川 区小岩の自宅を担保に極度額三五○万円の根抵当権を設定し借金していたのだ。同紙は「自分 の大金の存在を忘れて借金までするとは考えにくく、同氏の説明に対する疑問はさらに深まっ た」と書いたが、この指摘は的を射ている。

 一つの仮説として学会の幹部職員が私に語った話がある。それは、字会にはあの数倍の裏金 があり、多くの金庫に分散して隠していたところ、故意か不注意か、あの一つを忘れてしまっ た、あるいは隠してしまった、というものだった。あり得る話だと思った。というのも私も一 九七〇年ごろに、中西氏から預かり物を頼まれた経験があるからだ。

池田氏からの預かり物

 開けたら駄目だぞ。これは池田先生のものだ。じつに貴重なものだ。いいな。家族の目の届 かないところに置け。時期が来たら回収するからな」  中西氏から預かった風呂敷包みは五○センチほどの大きさで、かなりの重みがあった。風呂 敷包みには紙で封がしてあり中身が覘けないようになっていた。開けたらわかるように紙のコ ヨリで封までしている念の入れようだった。興味があったので他の議員にも聞いたところ、矢 追秀彦氏や田代富士男氏ら当時の関西系の複数の国会議員も預かったと話していた。党の主だ った者はみな頼まれていたようだ。

 その後、一、ニ年ほどして中西氏から「あれまだ、ちゃんと無事に取ってある?じゃあ持 ってきて」と言われ回収されたので中身は確認していない。

 このころ、言論出版妨害事件で池田氏を国会喚問しようという動きがあり、池田氏の個人資 産が調べられる可能性があると恐れられていた。何しろ、国税庁は悪質な事件の場合、私宅ま で強制調査した実例があるからだ。そこで中西氏は池田氏に特に忠実な人を選んで〝貴重なも の〟を預けたのではないか。おそらく風呂敷包みの中身は池田氏の個人資産か何かで、税務調 査などを逃れるためにあちこちに分散しておいたものではないか。もしあれが回収されずにい たらどうなったか。預かった本人が死亡してから何年も経って、古びた風呂敷包みを遺族が見 つけたら、家族は「汚い風呂敷だな。捨ててしまえ」とゴミに出してしまったかもしれない。 捨て金庫事件も似たような経緯で起きたのではなかろうか。

 七月四日、聖教新聞は「まったく考えられない事件が起き、大勢の方々にご迷惑をおかけ し、申し訳ない」という秋谷会長名のお詫びの談話と、金庫発見に至る経緯などを説明する記 事を掲載した。記事は金庫について「本社の管理備品台帳にもまったく記載がなく、中西氏が 知人から譲り受け、個人的に使用していた」「金庫に入っていた現金も中西氏個人の保有して いたもの」などと害き、学会との関わりを懸命に否定した。

 学会本部の幹部職員は「池田先生の裏金と見るのが自然だが、池田先生も分散されて隠され ている裏金の所在のすべてを知っている訳ではない。あえて邪推すれば、分敗して保管されて いた裏金の一部を中西氏が池田先生に内緒で隠していたのかもしれない。あるいは裏金が必要 になったときに備え、池田先生と中西氏が阿吽の呼吸で中西氏に保管させていたものが、誤っ て金庫もろとも捨てられてしまったのかも。その点、中西氏にも弱みがあるので、開き直れな かったのだ」と、まるで見てきたような解説をしていたが、真相がどうであれ、捨てられたの が池田氏の裏金であり、それが管理上の理由で裏帳簿にも記載されず中西氏しか知らない金だ という見方が学会内で強かったのは事実だ。

 その後も捜査は継続したが目立った進展はなく、捨て金庫事件に関する報道はめっきり減っ ていく。だが、金庫の中のお金は返還されないままで、当事者としては宙吊りの気持ちだっ た。

大蔵省首脳たちとの宴

 実のところ、表舞台の静けさと違って舞台裏では、学会・公明党と警察、さらには国税庁も 加わっての駆け引きが繰り広げられていた。  七月一一日、私は警視庁の高官と話した。私は公明党の書記長をしていたころから、都議出 身の竹入義勝委員長や〝公明党のドン〟と呼ばれていた藤井富雄都議らを通じて、警視庁幹部 との会合によく呼ばれていて、以前から懇意にしていた。  都議会公明党は警視庁予算を含む東京都の予算成立のキャスティング?ボートを握ってい る。このため都議会公明党と警視庁幹部は以前から良好な関係を有し、また警察庁幹部と公明 党も、警察庁と警視庁のキャリア組の人事交流を背景に結びつきを持ってきたのである。  警視庁の高官は「〝納得できる解決をせよ。マスコミに叩かれる解決はダメだ〟というのが 警察庁会議の結論だ。辻褄の合うストーリーでなければならない。そうでないと警察が大恥を かく」と捜査継続の事情を説明した。

 中西氏が金の持ち主である証拠が乏しく、記憶も曖昧とあっては捜査の継続は当然のことだ った。だが、学会内部では「警察は時間をかけて中西の心変わりを待っているのではないか」 との疑心暗鬼が広がっていった。中西氏の気が変わって〝真相〟を暴露するのを警察は待って いるのではないかと恐れたのだ。

 この日の夜、私は人蔵省の首脳たちとの少人数の内輪のパーティに参加した。公明党の書記 長を二〇年もやったことで、もともと私は各省庁の現場の官僚と接する機会が多かった。官僚 たちは国会での法案審議促進のため、私のところにもよく頼み事にきた。なかでも大蔵官僚と は予算案などの関連で資料説明を受けたり、国会審議の日程で相談をもちかけられるなど、頻 繁に会っていた。与党の幹事長クラスなら相手も局長級が説明にくるが、野党だと説明にくる のは若い官僚だ。

 いまも昔も、大蔵官僚には日本を背負うのは自分たちだという気概が強い。志も高い。だか ら彼らは、物事を頼むときも野党に対して卑屈になることはあまりなかった。大所高所から 「日本のために公明党も理解してほしい」といった感じで筋論で押してくる。我々も譲らなか った。そうした関係が逆に友情とでも言うべき信頼関係を醸成したような気がする。

 キャリア官僚の出世は早い。二○年も経てば、現場で駆けずり回っていた若い官僚が局長級 に上ってくる。野党だったことが逆に幸いして私は大蔵省?国税庁の幹部級に旧知の人が大勢 できた。そういう人たちと意見交換をする会を私は定期的に開いていたのだ。

 会合では無粋な話はせず、冗談を言い合いながら会話を楽しんでいたが、むろんお互いに計 算がなかった訳ではない。国会情勢の分析もたまには話題になり、野党ながら国会審議のキャ スティング?ボートを握る場面が多い公明党首脳の胸中を取材する意図もあったのかもしれな い

 この日の参加者は、西垣昭前事務次官、平澤貞昭事務次官、水野勝国税庁長官や小粥正巳主 計局長、保田博官房長、尾崎護主税局長といった錚々たる顔ぶれだった。  捨て金庫事件で中西氏の脱税問題がクローズアップされていたこともあり、私は大蔵省サイ ドに断りなく、会合に八尋副会長と公明党の市川雄一書記長を同行させて「先程まで一緒だっ たもので」と弁解しながら紹介した。

 市川氏の来訪は全員が歓迎したが、学会の八尋氏に対しては迷惑そうな顔だった。とはいう もののそこは紳士の集まり、市川書記長が加わったことで、この日は政局や参院選挙、消費税 などの話題で盛り上がった。

秋谷会長(当時) このころの政局は大揺れだった。竹下登首相が消費税導入とリクルート事件による政治不信 の責任を取って辞任し、六月三日に宇野宗佑内閣が誕生した。ところが宇野氏の女性問題が週 刊誌に報道されて政権は大揺れ。七月二三日の参院選挙で土井たか子委員長率いる社会党が 〝おたかさんブーム〟に乗り圧勝し、宇野氏は参院選敗北と女性問題を理由に七月一四日に退 陣表明。八月一○日に海部俊樹内閣が誕生する。公明党も議席を減らした。

私も、公明党議 員がリクルート事件で逮捕されるなど党内で不祥事が相次いだことを受け、五月一七日に委員 長を辞任したばかりだった。後継は石田幸四郎委員長、市川雄一書記長である。  石田委員長は、泰然自若とした風貌の大人だった。市川書記長は、力ミソリのような切れ味 と分析力、「事態予知能力」とでも言うべき将来を見通す力を持っていた。僭越ながら、私の後輩でー目置く人材は市川氏をおいて他にいな いと思っていた。

 会合が開かれたときは宇野政権で、私のもとにはさまざまなルートから「首相官邸が金庫問 題のことを細かく報告するよう警察に言ってきている。マスコミの関心が首相の女性スキャン ダルから金庫問題に移って官邸は喜んでいる。警察と国税も面子があるからうやむやな処理が できない」といった情報が寄せられていた。

それを裏付けるように会合に同席していた国税高官は、捨て金庫事件に関する国税庁内の雰 囲気をさりげなく説明した。 「国税マンも五万人もいると、いろいろ言う人がおります。中西氏から公然と〝脱税した金だ と言われると〝いまもやっているのではないか〟という突き上げもありまして……」  中西氏が脱税したことを公言している以上、いずれ中西氏への税務調査は避けられそうにな いことが同氏の言葉から察せられた。八尋氏は青ざめ、私や八辱氏らは中西氏への税務調査が 学会に波及することを予感した。

国税対策を頼まれる

 参院選挙後、公明党の中央執行委員会が開かれた。議題の中心はそれ以前に行われた創価学 会本部会議での池田名誉会長の発言についての対応だった。  池田氏は捨て金庫事件の処理と参院選の敗北に激怒し、「山友(山崎正友元学会顧問弁護士)、 原島(嵩元学会教学部長)、福島(源次郎元副会長)と同じで中西も裏切り者だ。公明党も負け るなら負けたらいい。議員はいばっている。腐敗してきた。新しく出直す。党にも遠慮しな い」と怒りを爆発させたという。

 山崎氏ら三氏は過去に学会の最高首脳として活躍したが、脱会後は激しい池田批判を展開し ていた。池田氏はその三氏と同列視するかたちで、捨て金庫事件の中西氏と公明党を口をきわ めて罵ったという。中西氏への批判を聞いた学会員たちは、「ああ、やっばり池田先生は捨て 金庫事件と無関係だったのだ」と喜んでいたが、なぜ党が巻き添えをくって叱られるのか、そ の脈絡が私にはわからなかった。

 ある学会幹部は「ガス抜きだ」と言っていたが、叱られるほうはたまったものではない。 「中西と裏で話がついたから、池田氏は表面的に怒った格好をしている」と解説した学会幹部 もいたが、真偽はいまもってわからない。

 池田氏の言葉を聞いた古参党首脳は「もう辞めたくなる」と嘆き、市川氏も「議員パッジの 返上運動をやろうか。池田名誉会長が言うことで、これまでは学会内のガス抜きができてい た。いまはそうではない。見え見えのガス抜きは、むしろ事態を深刻にさせるだけ。党は学会 の現場の人たちからメ夕メタにやられる」とうめいていた。

 現に、後日、私のところにも「学会側が〝矢野は反省して家を売って学会に寄付すべきだ〟 と言っている」という話が伝わった。教えてくれたのは浅井美幸副委員長だった。当時の新宿 区二十騎町の家は、妻や母が病を患っていたので、池田氏から勧められたこともあって建てた もので、手持ちの資産を処分しその資金に当てた。その後、税務署からの原資などの「お尋 ね」に対しても資料を添えて回答した。私は?然として「そこまで言うのか。議員でいること に〝もう嫌〟という気持ちになる」と答えた。

 捨て金庫事件はもともと学会の不祥事だ。しかも公明党と学会の幹部も本音では、金は池田 氏の裏金だと疑っていた。リクルート事件や田代富士男参院議員の砂利船汚職事件、私の不注 意が原因の明電工疑惑など、公明党の支持者に迷惑をかけたことは委員長として党を預かって いた私の不徳の致すところ。大いに反省もしていたし、だからこそ私は委員長を辞任したの だ。

 だが、捨て金庫事件の責任まで公明党に押し付けられ、こき下ろされたのではたまったもの ではない。私は心底うんざりして「とてもついていけん」と思った。

 七月三一日、しばらくぶりに読売新聞が捨て金庫事件について報じた。『中西氏が創価学会 の池田名誉会長の側近だったことから「金庫は創価学会のものでは」との見方もあり、この面 からも(編注・県警は)調べたが、関係者の口が堅く、壁に突き当たっている』という内容だ った。

 その日、八尋副会長は「神奈川新聞に(捨て金庫事件は)九月決着とあるが、だいたい、そ の線。これでは九月の財務に悲鳴が出て、支障がある。できればお盆前決着がよい。秋谷さん と相談してまた依頼する」と言い、最後に付け加えた。 「中西は最後に(神奈川県警に上申書を)一度だけ出す。最後に国税が残る。矢野さんにぜひ よろしく頼みたい」

 私に国税対策をやれという依頼だ。私は丁重にお断りした。 「財務」は学会員からの寄付集めのこと。学会では?年、九月から暮れにかけて財務を実施し ている。この年は九月が実施時期だったが、捨て金庫事件に対する学会員の反発は大きく、事 件の処理が遅れると財務に深刻な影響が出ることが予想された。

 そのころ、私は手帖に次のように記した。 《純粋理性を保持しつつ信仰心をもつ(これはややもすれば矛盾するが、それを乗り切るため には)強い精神力が必要である。(難しいことだが)しかしやらねばならぬと改めて決意する》

 私に汚れ役を一方的に押し付け、自分たちは厄介な問題から逃げるという学会首脳たちのや り方には憤りが募ったが、他方では、学会への不信感を打ち消して己を奮い立たせようとする 自分もいた。こんな記入もあった。

《蟻地獄見て光陰をすごしけり(茅舎)》  蟻地獄に落ちた虫がまるで自分のことのように思えた。逃げようともがいても、どうにもな らない。捨て金庫事件で国税の動きを抑えようとしたことがきっかけで、それから三年間、私 は国税対策という蟻地獄にはまり込み、七転八倒の日々を送ることになった。この句は皮肉に もそれからの三年間を暗示していた。

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池田氏の公明党攻撃

 捨て金庫事件が自分に飛び火することを恐れた池田名誉会長は、自分の私兵である公明党に 怒りの矛先を向けた。池田氏の公明党攻撃は日を追うごとにエスカレートしていった。

 七月の終わりごろ、池田名誉会長が学会会館の完成祝いのため竹入元委員長の地元の江戸川 区に足を運んだ。ある学会首脳によると、このとき池田氏はすこぶる機嫌が悪く、周りに当た り散らしたという。江戸川区には中西氏の住まいもあり、よけいに池田氏の機嫌を損ねたのか もしれない。池田氏は大変な剣幕で、「気に食わない。竹人に利用され騙されていた。江戸川 区に来る気がしない。党と学会青年部は何もしない。選挙で何をしたか。もう帰るが、見送り もいらない」と怒りをぶちまけて、さっさと引き上げたという。

「婦人部は泣いていた。皆ショックを受けていた。それにしてもキツすぎる」 と、この首脳はうめいた。

 池田氏の怒りを背景に、秋谷会長ら学会幹部は党の機構改革を強く要求してきていた。池田 氏の威光を借りた党攻撃に、市川書記長が嘆いた。 「(昭和)四二年当選議員(公明党衆議院第一期当選議員)と四四年当選譏員(同第二期当選議 員)は皆、バッジを外すくらいの気持ちでやれと秋谷会長らは言う。池田名誉会長は、竹入さ ん、正木(良明元政策審議会長)さんらについて〝反逆だ、裏切りだ〟と悪口を言っている。 みんな、いまは人のこと、次は自分のことと思って聞いている。金庫問題をすり替えるために 党を罵っている、党は可哀想だという声も学会内にはある」

 要するに、竹入氏や私といった四二年当選のベテラン議員を「全員辞めさせろ」と学会首脳 すなわち池田氏が秋谷会長に命令したわけだ。

 市川氏は党内で冷静な人物として通っていたが、自分が正しいと信じることは一歩も引かな い剛直さも備えていた。私は学会に苦言を呈するにしても、やんわりとした口調で話すことを 心掛けていたが、彼は厳しい口調でストレー卜に苦言を述べるか、完全な沈黙で応えるかのど ちらかだ。その市川氏も池田氏にだけはさすがに直言しない。それにしても冷徹な市川氏をこ こまで嘆かせたのだから、池田氏の党への怒りは相当、強烈かつ理不尽だったのだろう。

 八月九日、藤井富雄都議から捜査の見通しについて電話があった。 「八尋の話だと、神奈川県警と話はついているが警察庁が固い。時間がかかる。金庫について 二回上申書のやり取りをした」 「昨今、中西はいばっている。注意信号が出ているという感じ。中西が変わると大変なことに なるので早く決着をつけないと大変、というのが八尋の考えだ」

 これもかなり誤解のある話のようだ。当時、ある学会本部職員は「中西さんはいばるどころ か、身の置き場もないくらい遠慮している。それなのに中西さんが開き直っているように受け 止めるのは一種の被害妄想だ。よほど後ろ暗いことを中西さんが握っているのかな?」と解説 していたが、何が真相やらさっぱり藪の中だった。

 翌八月一○日、『文藝春秋』九月号が、学会批判の急先鋒である藤原行正元都議の弟の藤原 道宏.聖教新聞社東海道総支局前総支局長の告発記事を掲載した。  藤原氏は財務で集めた巨額の資金の一部が、全国各地にある池田氏の豪華な専用施設の建設 に使われていると考えられるなどと書いたうえで、捨て金庫事件に関してこう綴っていた。 『昭和五十二年、民社党が各地にある豪華な会長専用室を、宗教法人にあるまじきことと、国 会で追及しようとしたことがある。このとき、公明党が民社党に働きかけて時間稼ぎをし、そ の間に全国の専用室を消してしまえということになった。そこで建物を壊したり、温泉や庭を 潰すことが各地で行なわれた。

 ちなみにそのとき例の金庫が一緒にブルドーザーで埋められた可能性が高い、といわれてい る。そして、改めて違う施設をつくるために掘り返し、出てきたものを誰かが日本図書輸送に 頼んだ……』

 民社党の追及を避けるために学会が一時期、半狂乱のようになって池田専用施設を壊したり 庭の池を埋め立てたりしたことは事実だが、このときに一緒に金庫が埋められたかどうかまで は、私は知らない。

 また、藤原氏は金庫番としての中西氏について『池田氏は三代会長時代から「お小逍い」を 配ることをせっせとやっていた。とにかく手当り次第に配るという感じだから、総額では相当 になるだろう。金の出所は知らないけれども、私もその都度喜んで受け取っていた。(中略)

 池田氏が「小遣いをやろう。おい」と言うと、学会の〝金庫番〟こと中西治雄氏が黒いア夕 ッシュケースを開いて金の入った白い封筒を池田氏に手渡す、という仕掛けである。中西氏が 遠ざけられた後は第一庶務担当の長谷川重夫副会長がその役を務めていた』と書いた。

 この内部告発に学会側は大揺れだったが、党は四二、四四年当選組の引退問題の対応に追わ れ、それどころではなかった。石田氏は「議員引退問題は矢野さんの進退が焦点だ。つまり国 税など学会の諸問題に関わっている矢野さんを一緒に辞めさせるのかどうかだ」と私に解説し てくれた。これに対し私は「議員を引退する。定年制をつくった本人だから、むしろ定年前に 辞めたほうがよい。だが他の優秀な人は残せ」と話した。

殿のご乱心

 毎年夏になると、池田名誉会長は軽井沢の学会研修道場に避暑に出かける。このとき学会の 主だった幹部と公明党幹部も軽井沢に出かけ池田氏の話を聞くのが慣わしになっていて、その 日が迫っていた。

 学会から再要求され、市川氏は口ごもりながら次のように語った。 「池田氏と会うまでに四二、四四年当選組の議員辞職問題について公明党としての結論を出 し、学会に対して報告を出す必要がある」

 竹入氏や私は既に議員を辞めるつもりでいた。だが他の議員の心の中まではわからない。市 川書記長も先輩議員全員と会って、辞任する気があるかどうかを質すような失礼なことはした くない、と断言していた。私は市川氏らに同情しながらうんざりした。こういうことは、時間 をかけて解決するものだと、私は経験上考えていた。

 消費税問題で元首相の竹下登氏から電話があり、「補正を組んで景気対策をする。衆議院解 散総選挙は来年一月以降だろう。小沢一郎が学会の山崎尚見副会長とパイプがある」との話だ った。私は、「山崎さんは真面目な人だから、よろしくお願いします」と答えた。その後、私 は、国会本会議前に、公明党の院内控え室に出向いた。 「全員辞めることを決意せよと秋谷会長より強い指示があった」

 市川氏が苦りきった顔で私に話しているところに学会の青木亨副会長から電話が入り、市川 氏と押し問答になった。 青木「四二年組が辞めるとは戦場放棄だ。無責任だ」 市川「そうせよと言ったではないか」 青木「そんな報告書が出たら池田名誉会長に(辞めさせるかどうかを)選ばせることになる。 矢野も四二年組だから(辞める)というなら、むしろこの選挙戦を戦ってご奉公するのが当然 だ」 市川「このままだと党はおかしくなる。皆、嫌気がさす。後輩として、先輩の心をのぞくよう なことができるか。どうすればいいというのか」

 怒気をはらんだ市川氏の言葉に気圧されたのか、青木氏は無言だったという。  それにしても学会側の言うことは支離滅裂で、これに振り回されていたら党は自壊してしま うと私は思った。

 市川氏は電話を切ると苦渋に満ちた表情で、「もう無茶苦茶です。ただし、矢野さんについ ては辞めずに選挙に回ってくれということだった。でも、たとえ残っても学会から不愉快なこ とをやられるのではないか」と心配してくれた。 「いや、もう辞めたい。勘弁してもらいたい。自由こそが成仏だ。残れば不愉快なことがあ る。それはよくわかっているが……。しかし陰湿なものだ」

 私が溜め息をつくと、市川氏もうめくように「そのとおり。もう嫌になる。イビリだ……」 と言って眉をひそめた。

 議員を辞めろと言ったり、辞めるなと言ったり。池田氏やその周辺の考えは訳がわからなか った。協議後、市川氏は軽井沢に向かった。

 後で学会首脳から軽井沢での池田発言を聞いた。やはり党と四二、四四年組を厳しく批判す る内容で、池田氏は「石田も早く替われ。あとは市川だ」と市川氏を委員長に据える考えを示 した。私への批判は特に出なかったという。それにしても公党のトツプ人事が池田氏の一存で 決まるのだから、これこそ政教一致の証みたいなものだ。

このころの私の心境を手帖から抜粋すると?? 《君子危うきに近寄らず、只静観。沈黙に徹しきる》 《(議員辞職は)自由があることがより望ましいので何ら失うものはないし、人生もう一度やり 直しというフアィトすら湧く。権威集団から抜けられぬ人々、これからそれを目指す人にとり 公明党?学会全体の地盤沈下と内部矛盾は困ったもの。創価学会の興亡という言葉は私の造語 だが、ローマ帝国と同じく、その時代にきたのかなといささか感慨無量。いずれ矢野の復権と いう人々もいるが、矢野としてはまっぴらご免を願いたい。この複雑な世界は権力をもてば否 応なしに巻き込まれる》

 一方では《二四年この世界で恩を受けたものとして座視することはやはりできない。ひょう ひょうとして出来る手伝いはやる》とも書いており、私の気持ちもかなり迷走していた。 別の日の手帖の雑感にはこうある。 《殿(池田氏)御乱心の表現も的外れでないと言える。しかし金庫問題で打撃を受けた組織。 池田名誉会長としてそれを認めることはできないのは当然で、外部組織である公明党の悪者論 を婦人部にけしかけ、焦点をぼかしていくのは当然のこと》 《党は右往左往するだけで疲労困憊の状況。石田は半分やけくそ気味で衆院選後は首が決まっ ていると自分で言っているぐらいだから、仕方なし。市川は憎まれ役をやっていて気の毒だ》

 八月二八日、藤井都議が捨て金庫事件について電話をしてきて「矢野さんは辛抱強くやって くれ。警察庁が慎重で(捜査終結には)六ヵ月かかるそうだ。八尋が焦っているが無理だ。や はり辻褸が合わないからだろう」とぼやいた。

 警察庁が慎重なのは国会対策が関係していた。警視庁最高幹部は私にこう説明した。 「神奈川県警本部長はこの辺で決着したいと考えているが、国会でこの問題について質問が出 ているため、警察庁としては〝まだ調査中〟と答えたほうが無難なのだ」  膠着状態に焦った藤井都議は「もはや矢野さんに頼むしかない」と電話してきたが、私は 「秋谷会長から〝微妙なことだから、捨て金庫事件では政治的に動くな〟と言われている。や ってマイナスではいかんので。

八尋さんの判断が聞きたい」と態度を保留し、あわせて一万円 札の帯封についての矛盾を指摘した。藤井氏はこのあたりの事情をよく知っているらしく、 「そうですね」と言いながら言葉を濁した。折り返し藤井氏から電話があり「こっちは死に物 狂い。八尋も矢野さんにやってほしいとの言い方。矢野さんしかできない」と切羽詰まった様 子だった。翌日には八尋氏からも「よろしく頼む」の電話が入った。  それでも腰が重く迷っていたが、その矢先の八月二九日、産経新聞が、中西氏が県警に提出 したカギの製造番号と金庫の製造番号が一致した、と報道した。八尋氏から「そういう訳だか ら、あと一歩だ。よろしく頼む」と矢の催促だった。捨て金庫で国税が関心を持っていること は知っていたが、まだ動いている訳でもないし、何がどう問題なのかが理解できなかった。

捨て金庫事件で金丸副総理に相談

 私はやむを得ず、とっておきの手を使った。自民党の金丸信副総理に面談し、丁重にこの間 の事情を説明し協力を要請した。金丸氏は快く了承し、翌日、電話をくれた。 「警察庁の国会担当から事情を聞いた。マスコミが鵜の目鷹の目でうるさい。金庫は中西のも のと一応ハッキリしているらしいが、中のお金は、いまの状況から中西のものと裏付ける資料 がいまひとつ不足している。いま、(中西氏にお金を)お返しすると、マスコミから〝何を理由 に(落とし主が中西氏だと)断定したか〟と詮索されるとやはり弱い。(発見後)六ヵ月たって も誰も淹のものだと手を挙げないときは、中身の金もだいたい推量で中西のものだと言える。

そこまで波風立てないように待ちたい。ここだけの話だが、学会筋から〝金は学会のもの。も し中西が自分のものだというと業務上横領の疑いがある。(告訴するから)業務上横領での捜査 をしろ〟と警察に強く言ってきていて警察が困っている。それが裏にある事情だ。マスコミの 話題になってしまう(と困る)ので持て余している」

 金丸氏は、金の保管状況などについて中西氏しか知らないような情報があれば事情が変わっ てくるとして「ちよっとでも材料があれば言ってほしい」などと親身になって相談に乗ってく れた。

 私と金丸氏は一九八四年から八五年にかけての二階堂擁立劇で敵味方にわかれて激しく衝突 したが、それを機に、逆にお瓦いの気心が知れて急速に親しくなっていった。

 二階堂擁立劇とは、竹入委員長と私が音頭を取って脱角栄を目指し、公明党と民社党が自民 党の鈴木派や福田派などと連携して、連合政権を視野に田中派の二階堂進自民党副総裁を自民 党総裁に担ぎ出そうとした事件で、実現まであと一歩のところまで肉薄し、政界に衝撃を与え た。

 ロッキード事件で実刑判決が下った田中角栄元首相による田中支配の強まりと、田中派の支 持に乗る中曽根康弘政権への反発が二階堂擁立劇の背景にあった。田中角栄氏の中曽根支持の 姿勢は極めて固く、他派から首相を選ぶことで角栄氏のキングメーカーの力を維持する目的 と、自派から総裁候補を出すことによって田中派の世代交替が進行することを妨げる意図が、 角栄氏の発言からうかがえた。二階堂擁立劇は、このような政治構図の中で失畋するが、この ことは逆に田中派の中で「おやじはこれからも他派閥から総理総裁を選ぶ腹だ。それでは自分 らの出番はない」との反発が生まれてきて、それが角栄氏への造反といえる創政会の発足につ ながった。このあたりの事情は拙著『闇の流れ矢野絢也メモJ (講談社)に詳しい。

 二階堂擁立劇により田中角栄氏の威光は急速に衰え、一九八五年一月に竹下登氏を中心に金 丸氏らが創政会を発足。二月に田中角栄氏が脳梗塞で倒れ、鉄の結束を誇った田中派は事実上 分裂。これが一九八七年一一月の竹下政権誕生に結びついていき、この間に私と竹下氏も急速 に親交を深め無二の親友になった。この竹下氏との信頼関係が、後の創価学会に対する国税調 査に際し、大きな影響を与えることになるのである。

 私は金丸氏に謝意を述べ、金丸氏の話を八尋氏に電話で伝えた。八尋氏は、業務上横領での 捜査について「それは藤原行正の横槍だ」と語り、学会と池田批判を強めている藤原前都議が 警察庁に働きかけているとの見方を示した。

住職誘拐事件

 捨て金庫事件への学会員の反発の大きさは深刻だった。九月二五日、学会の関西文化会館の 幹部が私に嘆いた。 「聖教新聞が四八○万部から四一○万部に減部した。取次店は経営が困難になった。捨て金庫 事件以来、皆、嫌気がさして聖教新聞の購読を断っている。取次店が可哀想だ」

 だが九月二八日に朗報がもたらされた。読売新聞の取締役論説委員長だった渡邊恒雄氏が 「明日の読売を読め」と電話をくれたのだ。翌日の読売は、川崎市の竹やぶで見つかった二億 三五〇○万円の札束について、神奈川県警が通販会社社長の所有と認め返還したことを報じる とともに、捨て金庫事件についても一○月中に中西氏に返還する予定だと伝えたのだ。

 私たちは「これでやれやれだ」と喜んだものだ。 この報道後の 一○月二一日、池田名誉会長の本部幹部会でのスピーチが全国の学会施設で衛 星中継された。私は関西文化会館で中継を見たが、相変わらずの強気で、髙杉晋作の奇兵隊と 自分を重ねながらいささか常軌を逸した髙揚感を発露させた。事件がようやく解決に近づき溜 まりに溜まった鬱憤を晴らしたといったところなのだろう。

 中西氏に金庫の金が返されたのは一○月一六日。中西氏は記者会見で世間を騒がせたことを 陳謝。拾得者の廃棄物会社に報労金として二六〇〇万円を支払うとともに一億一○○○万円を 日本赤十字社に寄付することを明らかにしたが、現金の性格についてはそれまでどおり「学会 に無断で儲けた利益」などと曖昧な説明に終始した。

 これに先立ち創価学会は一○月一四日付で中西氏の退会届を受理。聖教新聞社も青木亨代表 理事名で「不正な利益追求であり、断じて許しがたい」との談話を発するとともに同社嘱託 だった中西氏を懲戒免職にしたことを明らかにした。ちなみに、この事件から二○年以上経過 した二〇一一年七月、中西氏は池田と対立する日蓮正宗に入講したという。

 事件は曖昧なまま幕を閉じたが、この事件にょって、創価学会の金満ぶりが世間に強く印象 付けられたことは間違いない。  実際、この年の一一月には創価学会を標的にした身代金目的の誘拐事件が発生。しかも、こ ともあろうに犯人の一人は学会員だった。

 誘拐されたのは大分県内の日蓮正宗の寺の住職。地鎮祭依頼で迎えにきた男に誘拐され、本 山の日蓮正宗大石寺に「創価学会が六億円出せ」と身代金を要求する電話がかかってきた。犯 人の男二人は警察による電話の逆探知によって逮捕された。犯人の一人は地域の学会員をまと めるブロック長をしていた男で、犯行の動機を「借金を抱えていた。創価学会を狙ったのは、 金が余っている、と思ったからだ」と供述した。犯人は大石寺への電話で「学会なら六億円く らい用意できんことはないだろう」と何度も脅迫していたが、実際に身代金はすぐに準備され たという。

 結果的に身代金の六億円は無事だったが、金を運んだ竹入央迪副会長は「現金は本山が用意 したものと聞いている」と学会は無関係だったことを強調した。

 私は犯人逮捕の日の早朝に首相官邸筋から事件のことを初めて聞き、驚いて学会幹部に電話 をした覚えがある。犯人逮捕後、あるマスコミ幹部は「学会は真っ黒どころか激黒だ。世間で は金余りボケかと言っている」と呆れていたが、返す言葉もなかった。六億円について学会内 部では学会側が用意したと伝えられていた。

 こうしてトラブル続きの一年がようやく終わりに近づいたクリスマスに、私は竹入義勝元委 員長と会った。竹入氏は翌年の衆院選には出馬せず、議員を引退することが決まっていた。竹 入氏は心底ホッとした様子で「やっと辞められる。やれやれだ。矢野も長くないぞ」と私を見 た。

 私も翌年の衆院選を最後に議員を引退するつもりでいたので、「長い間ご苦労様でした。私 のこともよくわかっている」と応じた。  心配していた国税庁の中西氏に対する税務調査もなく、私は〝このまま国税庁には諦めてほ しいものだ。そろそろお役ご免にしてほしいものだ〟と心の中でつぶやいた。  まさか、この捨て金庫事件が呼び水になって翌年、創価学会に国税庁の税務調査が入り、私 が国税対策の最前線に立たされることになろうとは、このころは夢想だにしていなかったので ある。乱脈経理-6に続く

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