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それでもあなたはニセ御本尊を拝みますか


創価学会の皆さんへ

【池田大作氏指導】
『ご存じのとおり、私どもは日蓮大聖人の仏法を奉ずる信徒である。その大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人、および御歴代上人、そして現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている。ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである。この一貫した仏法の正しき流れを、いささかなりともたがえてはならない。』(広布と人生を語る三二四九頁)
 『「僧宝」とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。』(聖教新聞・昭和五三年二月二十六日) と発言しています。

この池田氏の発言は実に正しい。学会を破門にしたからニセ御法主だと言い張るのなら、創価学会に正義は微塵も存在しないことと同義であると言えます。

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学会員さんは、過去に日顕上人が、池田大作氏の御奉公を讃歎されていたことを持ち出して逃げますが、そもそも、日顕上人は日達上人のお心を汲まれたからこそ、御登座以来、ずっと反省懺悔した池田氏や学会を護ってこられたのです。

  すなわち、学会の五十二年度路線の教義逸脱問題で、池田氏が模刻本尊を造り、教学的な逸脱があった中、昭和五十三年十一月七日に大講堂大広間にて『創価学会創立四十八周年記念代表幹部会』(通称"お詫び登山")が行われ、池田氏が正式に謝って日達上人が許された経緯を、そのまま踏襲されたのです。

  日顕上人が御登座された頃は、「学会への追及の手を緩めるな」「信用できない」という声が全国で挙がっていましたが、「謝っている以上、それ以上言う事は、屍に鞭打つ行為である。」と全てを押さえられ、従わない者は僧侶といえども処分してまで、学会を護ってこられたのです。

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【日顕上人のお言葉】


『私は言うのですが「もしも信仰的に創価学会が独立するというのならば、独立してもらえば良い」ということです。そのときには我々は、法主が陣頭に立って、徹底的に創価学会の全体を折伏して、改めて大折伏戦を日蓮正宗から展開すれば良い。(中略)宗門の全部が精力的に歩き回って、全員を救うべく折伏をしなければならないと思います。』(昭和五十四年十月十日 於宗務院)
と、当時から仰せなのです。

そもそも、今回の問題の発端は、池田氏による、平成2年11月16日に開催された本部幹部会における、池田大作氏の御法主上人への誹謗中傷、また宗門に対する謂われ無き非難にありました。

 加えて、宗門の指摘に対する不誠実極まりない、およそ信徒団体とはいいがたい不信心・無反省の態度、口を極めた誹毀讒謗などは、もはや日蓮正宗を信じている者とは全くいえない状況でした。

 そこで、創価学会に対して、まず解散勧告を行ないましたが、いよいよ憎悪を燃やして宗門を非難中傷し攻撃してきたので、もはやこれまでとて、断腸の思いで、創価学会を破門処分に付したのです。

 そして、我々日蓮正宗の僧俗は、創価学会幹部の誑惑によって洗脳され、退転してしまった創価学会員に対し、折伏を遂行しているのです。

よって日顕上人の言動には微塵も自語相異など無いのです。

 現在の創価学会の主張が正しいのなら池田大作氏自身が邪義を唱えていたことになります。
 また、池田大作氏の過去の発言が正しいのなら、現在の学会の主張は邪義であります。
 学会員さん どっちが正しくてどっちが邪義なんでしょう?
 教義が自らの都合でクルクル変わる教団は『邪宗の典型』であると、創価学会では教えないのでしょうか?

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【創価学会の矛盾】


 創価学会では、現在においても日蓮正宗が同会を破門したことに対し非難していますが、その一方で自ら独立したとも言っています。  創価学会が破門になった時は、『魂の解放』と狂喜乱舞していました。
 一体、どちらが本心なのでしょうか?

 また、創価学会では、数百年以前の日蓮正宗の歴史をも批判していますが、ではなぜ、同会は三原則を守ると約束して日蓮正宗の信徒団体となったのでしょうか?

※ 創価学会は三原則を法人設立の条件として宗門へ提示した。

① 折伏した人は信徒として末寺に所属させること。
② 当山の教義を守ること。
③ 三宝(仏法僧)を守ること

お山に登山しなければならないという御書は無い!?

 上記の言葉を、創価学会婦人部に言われました。
あまりにも何も知らないことに愕然とし、哀れみを感じます。

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【御書に見る登山参詣の功徳】


大聖人様は、「参詣遥(はる)かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨(らいりん)を企(くわだ)つべし。是にて待ち入って候べし。(1569)」 「今此の所も此くの如し。仏菩薩の住み給ふ功徳聚(くどくじゅ)の砌(みぎり)なり。多くの月日を送り、読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし。然るを毎年度々(たびたび)の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし、はげむべし。(1502)」 と南条時光殿や四条金吾殿へ仰せであります。

 大聖人様が御在世の当時の御信徒は、大聖人様へお目通りの為に、おでましになられた、身延や佐渡へまで、参詣されていました。

 今の私たちの信心修行の中で、すべてに最優先すべきは、生身の大聖人たる戒壇の大御本尊への御目通りであり、総本山への登山であります。

 御法主上人のお許しをいただき、戒壇の御本尊に御目通りし、無始以来の罪滅と諸願成就を願うことが信心の根本なのです。

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【日寛上人の御指南】


 日寛上人は、  「富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり」(六巻抄 68) と、大御本尊様を根本にした信心を教示されています。

 また、  「須く根源を討ぬべし、若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」(同69) との文をよくよく心得て下さい。

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【創価学会の登山に関する昔の指導】


 戸田会長指導

 「われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺(のこ)されてある。

 これは、弘安2年の10月12日の大御本尊様のただ1幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。

 だから、身延や仏立宗や霊友会なんか、いくらがんばっても、御利益がでようがないのです。」(『戸田城聖全集』第4巻343)

『折伏教典』 「富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」(三一四㌻)


池田会長指導


 「かかる絶対の大御本尊にお目にかかる登山会であれば、学会の登山会こそ、行事の中の最大の行事として、他の一切の行事に優先して行われているのである」(『大白蓮華』昭和38年10月号)

 これらの指導から見れば、今の学会員は、本物の信心でなく、謗法であると言えます。 「日蓮大聖人を信仰している」という者が、まさに大聖人様が現前とそこにおわすのに、その元へ参詣しお目通りを願わない、それでいいんだ。などと言うのはまさに「信心がない!」それだけのことです。

 日蓮大聖人=戒壇の大御本尊様。その大聖人様がこのように「参詣に励みなさい」とおおせであるのに、学会員はそれに背いている。しかも、御書に大石寺に登山しなければ功徳がないなどと書かれていないと言い張る。まさに「信心も教学もない!」それだけです。

 我々法華講員は、かつては日蓮正宗の信徒であり、現在も大石寺の御法主上人の御本尊を一人の例外もなく拝んでいる創価学会員を、何とか正法に立ち戻って欲しいと願い、折伏しているのです。

  創価学会が、大石寺御歴代上人がしたためられる御本尊を拝んでいるうちは、まだ道理が通じる人もいると信じているのです。  本当に総本山大石寺は、学会で「桜を全部切った」「野犬がうろついている」「草ぼうぼうで荒れ果てている」ところなのか、ご自分の目で確かめてはいかがでしょうか?

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日達上人のお言葉


『最近よく、本山で戦争中、天照大神のお札を貼ったとか、拝んだとかで、それだからして、本山の血脈相承がどこかへ飛んでいってしまった、というようなことを言っている人がままあります。

 それについて、少々申し上げたいと思います。
 総本山において、天照大神のお札を貼ったことは一度もありません。  今時の大戦争において、国において軍部が大変に力を得て、我が国を滅ぼしたような状態でございました。昭和十八年ごろ、いよいよ戦争が激しくなってきた時分、この総本山においては当時客殿、御宝蔵、庫裡、六壷、それから大奥と、そのちょうど真ん中あたりに書院がございまして、(中略)

 そこは大書院ですから、御本尊は祭ってありません。
その所を、昭和十八年の、戦争がいよいよ盛んになった時に、国で借り上げてしまった、国に借りられてしまったわけです。 その時にその書院を『中部勤労訓練所』ということにされてしまったのでございます。(中略)その時に所長である上中甲堂と云う人が、書院の上段の間へ天照大神のお札を祭ったんです。

それに対して、こちらは再三異義を申し立てたんですけれども、しかし国家でやる仕事である、国の仕事であるから、いくらこちらで何を言っても、それは及びもしない。何とも仕方がないから、そうなってしまったのであります。

 ただそれだけのことで、別に我々がその天照大神のお札を拝んだことなどありもしない。また、実際その中へ入って見たこともない。入れてくれもしない。まあ借家同然で、借家として貸したんだから向こうの権利である。そういうような状態であって、決して我々が天照大神のお札を祭ったとか、拝んだとかいうことは事実無根であります。」 と仰せである。

 こんな事は創価学会首脳も充分承知しており、ただの難癖である事も分かっている。

 学会首脳は、史実がどうであるかより、会員が洗脳できればそれで目的は達するのである。

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【不敬罪で投獄された戸田会長の宗門への認識】


 戸田会長は、戦後(昭和26年)日蓮正宗の僧侶について、 「わずか小勢百数十人の僧侶が、七百年間、チリもつけず、敵にもわたさず、みなみな一同、代々不惜身命の心がけで、一瞬も身に心に心身一つに、御本尊を離れずに、今日にいたったのである。(中略)ということは、真実の仏法哲学を滅しないことであり、実に偉大なる功績ではないか。」 と述べている。

「神札問題」等に関して多少宗門への批判的言辞はあるものの、創価学会の活動自体は日蓮正宗の教義に依存し、総本山大石寺に参詣することによって、信徒の幸福を願ってきたのである。

 したがって、戸田会長から見ても、当時の僧侶の行動が国民一般の感覚以上に突出していたとは言えず、非難に当たらないことを証明している。

※そもそも、不敬罪の逮捕理由は、学会員が衆人の前で神札を焼いたり、子供を亡くした婦人に「信心しないから罰が当たった」と言った事が発端で、官憲に訴えられた事にある。

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