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他宗参詣について

他宗参詣について (『慧妙』H13.9.1ほか)

●今日ある人は、まるで、他宗の寺なんかに寄ったらば、もう謗法だと言う。謗法の施を受けない、施を受けることはもちろんいけない、けれども勉強することもいけないということを言っている。

それじゃ、あんまり小さい狭い考えにわたってしまって、それはいけない。だから大いに他処(よそ)を見て、その宝物でも書き物でも、どういう物でも、どんどん学生時代には見て研究しておくのが、非常に大事なことなんです。

だから、身延へ講習会の生徒が1日見学に行くということが、非常に良いことなんです。身延に限らず、他にもあればよいんですけれども、この辺では、それまでは及ばないから、6期生が1日だけ見学に行くにすぎません。(中略)

 どんどん自由に勉強して、そして宗門の宗学というものを、きちんと立てていってもらいたい。どうか、そのつもりで今後とも研究していただきたいと思います(第66世日達上人S48.7.27第20回行学講習会閉講式/『慧妙』H13.9.1)

●学問修行の時は宗を定めざる故に他宗の勤め行事をなし、又他宗のけさ衣をかくる事一向子細なきか、宗を定むる事は化他門なり、学問修行は自身自行なるが故なり云云(第9世日有上人『化儀抄』・聖典983頁)

●但し物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず、誠に信を取らば謗法の人に与同する失(とが)あり云云(同987頁)

 学僧の学問修行に必要な場合は他宗の行事に入ることをも可とされ、また、僧俗を問わず信仰的な参拝でなければ、他宗寺院を見学することも可とされているではないか。  このように、本宗において、他宗寺院を学問の必要上から見学することは認められており、それは謗法ではない。(『慧妙』H19.6.16)

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怪文書『石山だより』や『創価新報』(共にH13.8.15)

>破折もせず、研修と称して謗法巡り

>日顕宗の所化連中は、引率していた大石寺の某理事、教学部の書記とともに、こぞって(本門寺の)その本尊に題目を唱えたのである

>本門寺貫首の法話を30分近くもありがたく〝拝聴〟。貫首の機知に富んだ話に爆笑したり、うなずいたり

>連中にとってみれば、大石寺ではとても味わえぬ有意義な〝会座〟だったようだ

怪文書『石山だより』や『創価新報』(共にH13.8.15)

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ハエ叩きの捏造を暴く

そこで本紙は、今回の「史跡研修」に同行された、大石寺理事・山崎慈昭尊師にお話を伺うべく、内事部を訪ねた。

 問題の記事を御覧になった山崎尊師は、  「〝本門寺で合掌・唱題〟したというのも、〝貫首の話をありがたく拝聴〟したというのも、まったくのデタラメです」 と、失笑を禁じえない様子で、実際の状況を、以下のとおり詳しく説明してくださったのである。

 今回の「史跡研修」では、西山本門寺、身延山久遠寺、岩本実相寺、小泉久遠寺、そして北山本門寺を廻ったとのこと。

 もちろん、これは、あくまで各山の実態確認をする「研修」が目的であるから、先方に対しては、社会通念上常識ある態度で、節度をもって臨むように、との注意が、出発に際し、参加者に対してなされたことは当然である。

 さて、いざ各寺院を訪ねてみると、そのほとんどが〝どうぞお好きに見学してください〟といった対応であったが、なかんずく、もっとも丁寧だったのが北山本門寺だった。

 そして、対応した僧侶に案内され、本門寺の本堂に入った際、参加者数名が先方の法義解釈について問うたところ、案内の僧侶がこれに応じたのである。

 「『新報』が〝本門寺貫首の法話を30分近くもありがたく拝聴した〟と誹謗するのは、この時の対話を指してのことでしょう。

 対話の内容はもちろん、法義についてのことでしたので、立ち話ではなく、お互いに、きちんと正座して話をしたのです。

 もっとも、今回、我々が本門寺を訪ねた主たる目的は、あくまでも『研修』ですから、その点を弁(わきま)えての対話ではありましたが、その中には、有意義な内容がいろいろと含まれていました。

 それと、対応した本門寺の僧侶は、貫首ではありません。だからこそ、当方が発した質問に対し、相手が率直に応えた、という側面もあったのではないかと思います。

 しかし、外でコソコソ〝盗撮〟していた学会員には、案内した僧侶が誰であったか、また、本堂内でどのような会話が交わされたか、などは知る由もなかったはずで、彼らが邪推してまとめた〝報告〟を基(もと)に、学会が捏造記事を作り、臆面もなくそれを報じた、ということです。

 もちろん、本堂内で合掌したり、題目三唱した、などということは一切ありません。それらはすべて、学会の悪らつな捏造です。」

 日達上人の御指南にも則った、学問のための「史跡研修」――。ことに今回の「史跡研修」では、日蓮正宗と他宗との法義の違いを、他宗の僧との対話を通じて直(じか)に見聞するという、希(まれ)な体験もできた。

 しかし、こうした有意義な「史跡研修」も、ひとたび邪悪な創価学会の手にかかれば、前述のごとき「謗法巡り」ということにされてしまうのである。げに恐ろしきは、学会の謀略体質であろう。

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身延に参詣

これも全く的はずれである。

日蓮正宗の僧侶も、時に学問の研鑽(けんさん)のために、他宗寺院に見学に行く場合がある。日有上人は、  「学問修行の時は宗を定めざる故に他宗の勤め行事をなし、又他宗のけさ衣をかくる事一向子細なきか、宗を定むる事は化他門なり、学問修行は自身自行なるが故なり云云」(『化儀抄』・聖典983頁)

 「但し物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず、誠に信を取らば謗法の人に与同する失(とが)あり云云」(同987頁)

と御指南され、学僧の学問修行に必要な場合は他宗の行事に入ることをも可とされ、また、僧俗を問わず信仰的な参拝でなければ、他宗寺院を見学することも可とされているではないか。

 このように、本宗において、他宗寺院を学問の必要上から見学することは認められており、それは謗法ではない。(『慧妙』H19.6.16)

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